1月 2014Archives

幸せの在り方と価値の変容

そっか。今日は七草粥の日だったのか。
今年は新年から仕事関係やプレイベートでいろんなことがあり、
昨日ようやく少しだけ落ち着きました。
ようやくお正月気分ですが、世間は仕事始めなんですね。

facebookの投稿がなぜか今日は男性が料理を作る記事が続いていました。
私もなぜか今日は数年ぶりに台所に立って、料理を作ってみました。

即席ですが、自分で作ると美味しいものです(笑)

最近は、玄米をよく食べるようにしております。

食べ方も、映画の現場なんかだとよく早食いして飲み込むスタッフが重宝されますが、
今では1口で30回は噛むように心がけております。
今まで見過ごしていた当たり前のことが、
実は、身近なことを見つめ直すだけで、
体調や生活のリズムが大きく改善されることがあると思っております。
人間は、日々自己発見の連続ですね。
今年は、いろいろな変化の年になりそうです。
昨年映画の劇場公開をきっかけに自身の心構え、
これからの自分の生き方、仕事の在り方、
様々なことを見つめかえすことが多くなりました。
法務省の「人権シンポジウム」での講演も大きなきっかけで、
自分の生き方は、先ほどの食べ物に近いですが、
当たり前に生きてきたことや過ごしてきたものを違った角度から見てみるると
実は全く違うように見えること
生涯伝えていきたいんだろうなと感じております。
犬猫との共生の在り方、食の大切さ、家族の大切さ
日本は今まで偶像の豊かさに埋もれてしまい、いつしか古来から大切にしてきた
精神的支柱を忘れかけているのではと感じてなりません。
勿論、お金は大切です。
ですが、それを如何に使うか、どうして必要か
そのHOWとWHYを深く考える習慣が今、最も大切だと考えております。
実は今まで大学を卒業してから10年間、週に1、2度だけ大手の予備校で
物理の講師もしておりました。
高校時代の唯一の目標が、大手の予備校の物理講師だったからです。

その中で生徒に伝えていたことは、
自分は物理を教えるつもりで来ているのではなく、
自分でなければ伝えられない何かを見つけにこの場所に来ている」と
伝えてきました。
それは物理を教えるという発想ではなく、
物事の見方や捉え方を鍛えて、受験勉強に限らない
柔軟性を養って欲しいという気持ちから独特な講義を続けてきました。
大切なのは公式や暗記ではなく、物事が成り立つきっかけや過程を捉えること。

そして、自分自身=講師も成長していくということの重要性
Teaching is Learning」という発想を常に伝えてきました。


そんな10年間、毎年教え方を変えて、
講義に望んできました。
近年、学生さんたちにいつも投げかけていたのは、
皆さん、何故大学に入るのか? ということでした。
得てして、大学受験というのは、偏差値や学歴を重視しがちですが、
そこには一体どんな意味があるのか? 何を目的に大学に入るのか?
目的もなく大学を目指す日本の教育というのは、
貨幣主義の日本の象徴ではないかと考えています。
大学に入らなければならない理由なんてどこにもなく
もし入るのだとしたら、
尊敬できる先生を見つけろ
ということなんです。

大学入試を受ける人は最低でも
その学校にどんな研究をしている先生がいるのか、
どんな論文を書いているのか、それをまず知るべきだと考えてます。
大学は社会人への登竜門でなく、自分の好奇心や知識を深め、
自分とは違った人と関わることで、社会に対して自分がどのように貢献していくかを
考える機関だと考えております。
残念ながら、予備校や高校でそんなことを教えてくれることは少ないのではないでしょうか?
(現場でそのようなことを伝えている方は、きっといらっしゃると思います。
そのような現場の方は、学生さんにとってもきっと貴重な存在だと思います)

私も10年教えてきましたが、週に1回程度で教えられる生徒に限りがあること、
予備校という特性上、時間と教えられる内容に制約があること、
教育環境が何十年前からさほど変わっていないこと。
いろいろと思うことが沢山ありました。

何より、自分が思っているメッセージを伝えていきたいターゲットは
もっと低い年齢層ではないか、そんなこともあって、
今までなんとか続けてきた予備校講師を昨年辞める決意をしました。
映画を通じて、自分がやりたいことは、
日頃見過ごしてしまうこと、通り一遍に考えてしまう事象を
如何にして柔軟に、かつ多角的に見つめ直していけるかを
伝えていきたいと思っております。
それは、私たちがいかにして幸せに生きるか、仕事とは何か、生きるとは何かに対しての
自問自答のようなものかも知れません。
少なくとも言えることは、現代社会は貨幣主義から二宮尊徳が大切にしてきた
倹約精神、報徳思想の傾向にあるのではと感じております。
長くなりますので、このお話は次回に続けたいと思います。

それから、「STORYS.JP」というサイトで、
いじめとひきこもりから映画監督へ」という記事の投稿を始めました。
もし、よかったらお目汚しになるかも知れませんが、
ご覧頂けましたら幸甚です。
今まであまりお話しなかったことをようやく書けるタイミングになった気が致します。

本年も宜しくお願いします!

謹んで新年のご挨拶申し上げます。
旧年中は一方ならぬご高配並びに映画への応援、誠にありがとうございました。
本年も、変わらぬご支援とご厚情を賜りますよう、宜しくお願いします。

三が日はあっという間に過ぎて行きますね。
昨年はトーハクさんとお仕事をさせて頂いたので、
仲間たちとトーハクに行った後に、浅草寺でお参りをしましたが、
今年は私の地元の高円寺の馬橋神社にお参りに行きました。

お参りでは、日頃見過ごしてしまう景色をゆっくりと散策することができました。
神社仏閣に訪れると、木々や火、空気や水の流れに心が澄んでいく感じを覚えます。

自然は何かに惑わされることなく脈々と流れ、止まることはありません。
人間は自然と向き合うことで、生の在り方や、人生の道しるべのようなものを
授かるのだなと改めて感じました。

さて、昨年末ご近所にお住まいの川井拓也先生からお招きを頂き、
ご自宅に遊びに伺いました。
同じご近所さんの杉山知之デジタルハリウッド学長のご家族とも
ちょっとしたお夕飯をご一緒させて頂きました。

GoProグリッド/Ustreamerでお馴染みの川井先生
学長のご子息とはこの時、初対面!

川井先生のfacebookの投稿は、いつも鋭く的を射た視点の投稿で
埋め尽くされておりますが、
この時、川井先生のご子息のコータ君と戯れながら仰っていた言葉、
「自分の記憶は、子どもを通じてコンプリートされていく」
何ともステキな言葉で、ここ数日ずっと覚えておりました。

昨日おいらの姪っ子ちゃんと初対面してきたのですが、
おいらの小さい頃の玩具で遊んでくれていて、
ふと、幼い頃の記憶が押し寄せる川の流れのように思い出されました。

小さい頃大好きだった玩具のそろばん?

おいらは小さい頃から、サイコロや数字が大好きで、
この玩具もよく遊んでいたのを覚えております。
その時に記憶によみがえるのは、目白の祖母のことです。

本当によく面倒を見て頂いた祖母のことが思い返され、
涙が止まりませんでした。
「ノー・ヴォイス」が公開したことを仏前でご挨拶しにいかなければなと
改めて感じております。

いろいろな人たち、陰で支えて下さっている人たちがあって
今の自分がいることを考えると、
「志は高く、腰は低く」という知り合いの芸能事務所の社長が話している言葉を
大切にしていきたいと感じてなりません。

「ノー・ヴォイス」は、間もなく関西方面で劇場公開を致しますが、
自主上映会も大宮、広島・福山、そして千歳船橋でも開催がありそうです。

『映画「ノー・ヴォイス」大宮自主上映会』
【日 時】2014年1月25日(土)14〜18時(交流会18〜20時) 

【場 所】バル デ エスパーニャ セロ(Bar de Espana Cero)    
     
    JR大宮駅西口徒歩5分
【住 所】さいたま市桜木町2−220−2 

【電 話】048−643−2303 

【地 図】http://tabelog.com/saitama/A1101/A110101/11004956/dtlmap/ 

【参加費】映画&ワールドカフェ2,000円(ワンドリンク付き)  
     
     交流会3,000円(交流会のみ参加の方は4,000円) 

【タイムテーブル】前半:上映会+ワールドカフェ  
  
     13時30分:開場  
  
     14時〜16時:映画上映  
  
     16時15分〜17時45分:ワールドカフェ
  
    (「ノー・ヴォイス」を見ての感想など参加者の皆さんともに語らいましょう)
 
     進行:古新舜(「ノー・ヴォイス」監督)
  
     18時〜20時: 交流会
【定 員】20名(予定)
【映画「ノー・ヴォイス」ホームページ】 http://no-voice.com/
【お申し込み】http://cosmobox.jp/contact.html より

是非、多くの方々に作品を観て頂きたいと思います。
本年も、昨年と変わらずご愛顧、ご厚情賜りたく存じます。

皆様のご検討とご多幸、心よりお祈りしております。       古新 舜