幸せの在り方と価値の変容
そっか。今日は七草粥の日だったのか。
今年は新年から仕事関係やプレイベートでいろんなことがあり、
昨日ようやく少しだけ落ち着きました。
ようやくお正月気分ですが、世間は仕事始めなんですね。
そんな10年間、毎年教え方を変えて、
講義に望んできました。
近年、学生さんたちにいつも投げかけていたのは、
皆さん、何故大学に入るのか? ということでした。
大学入試を受ける人は最低でも
今年は新年から仕事関係やプレイベートでいろんなことがあり、
昨日ようやく少しだけ落ち着きました。
ようやくお正月気分ですが、世間は仕事始めなんですね。
facebookの投稿がなぜか今日は男性が料理を作る記事が続いていました。
私もなぜか今日は数年ぶりに台所に立って、料理を作ってみました。
即席ですが、自分で作ると美味しいものです(笑) |
最近は、玄米をよく食べるようにしております。
食べ方も、映画の現場なんかだとよく早食いして飲み込むスタッフが重宝されますが、
今では1口で30回は噛むように心がけております。
今まで見過ごしていた当たり前のことが、
実は、身近なことを見つめ直すだけで、
体調や生活のリズムが大きく改善されることがあると思っております。
人間は、日々自己発見の連続ですね。
今年は、いろいろな変化の年になりそうです。
昨年映画の劇場公開をきっかけに自身の心構え、
これからの自分の生き方、仕事の在り方、
様々なことを見つめかえすことが多くなりました。
法務省の「人権シンポジウム」での講演も大きなきっかけで、
自分の生き方は、先ほどの食べ物に近いですが、
当たり前に生きてきたことや過ごしてきたものを違った角度から見てみるると
実は全く違うように見えることを
生涯伝えていきたいんだろうなと感じております。
犬猫との共生の在り方、食の大切さ、家族の大切さ
日本は今まで偶像の豊かさに埋もれてしまい、いつしか古来から大切にしてきた
精神的支柱を忘れかけているのではと感じてなりません。
勿論、お金は大切です。
ですが、それを如何に使うか、どうして必要か、
そのHOWとWHYを深く考える習慣が今、最も大切だと考えております。
実は今まで大学を卒業してから10年間、週に1、2度だけ大手の予備校で
物理の講師もしておりました。
高校時代の唯一の目標が、大手の予備校の物理講師だったからです。
高校時代の唯一の目標が、大手の予備校の物理講師だったからです。
その中で生徒に伝えていたことは、
「自分は物理を教えるつもりで来ているのではなく、
自分でなければ伝えられない何かを見つけにこの場所に来ている」と
伝えてきました。
それは物理を教えるという発想ではなく、
物事の見方や捉え方を鍛えて、受験勉強に限らない
柔軟性を養って欲しいという気持ちから独特な講義を続けてきました。
柔軟性を養って欲しいという気持ちから独特な講義を続けてきました。
大切なのは公式や暗記ではなく、物事が成り立つきっかけや過程を捉えること。
そして、自分自身=講師も成長していくということの重要性。
「Teaching is Learning」という発想を常に伝えてきました。
そんな10年間、毎年教え方を変えて、
講義に望んできました。
近年、学生さんたちにいつも投げかけていたのは、
皆さん、何故大学に入るのか? ということでした。
得てして、大学受験というのは、偏差値や学歴を重視しがちですが、
そこには一体どんな意味があるのか? 何を目的に大学に入るのか?
目的もなく大学を目指す日本の教育というのは、
貨幣主義の日本の象徴ではないかと考えています。
大学に入らなければならない理由なんてどこにもなく
もし入るのだとしたら、
「尊敬できる先生を見つけろ」
ということなんです。
「尊敬できる先生を見つけろ」
ということなんです。
大学入試を受ける人は最低でも
その学校にどんな研究をしている先生がいるのか、
どんな論文を書いているのか、それをまず知るべきだと考えてます。
大学は社会人への登竜門でなく、自分の好奇心や知識を深め、
自分とは違った人と関わることで、社会に対して自分がどのように貢献していくかを
考える機関だと考えております。
残念ながら、予備校や高校でそんなことを教えてくれることは少ないのではないでしょうか?
(現場でそのようなことを伝えている方は、きっといらっしゃると思います。
そのような現場の方は、学生さんにとってもきっと貴重な存在だと思います)
(現場でそのようなことを伝えている方は、きっといらっしゃると思います。
そのような現場の方は、学生さんにとってもきっと貴重な存在だと思います)
私も10年教えてきましたが、週に1回程度で教えられる生徒に限りがあること、
予備校という特性上、時間と教えられる内容に制約があること、
教育環境が何十年前からさほど変わっていないこと。
いろいろと思うことが沢山ありました。
予備校という特性上、時間と教えられる内容に制約があること、
教育環境が何十年前からさほど変わっていないこと。
いろいろと思うことが沢山ありました。
何より、自分が思っているメッセージを伝えていきたいターゲットは
もっと低い年齢層ではないか、そんなこともあって、
今までなんとか続けてきた予備校講師を昨年辞める決意をしました。
映画を通じて、自分がやりたいことは、
日頃見過ごしてしまうこと、通り一遍に考えてしまう事象を
如何にして柔軟に、かつ多角的に見つめ直していけるかを
伝えていきたいと思っております。
それは、私たちがいかにして幸せに生きるか、仕事とは何か、生きるとは何かに対しての
自問自答のようなものかも知れません。
少なくとも言えることは、現代社会は貨幣主義から二宮尊徳が大切にしてきた
倹約精神、報徳思想の傾向にあるのではと感じております。
長くなりますので、このお話は次回に続けたいと思います。
それから、「STORYS.JP」というサイトで、
「いじめとひきこもりから映画監督へ」という記事の投稿を始めました。
もし、よかったらお目汚しになるかも知れませんが、
ご覧頂けましたら幸甚です。
今まであまりお話しなかったことをようやく書けるタイミングになった気が致します。
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