8月 2012Archives

山口コラボネットワークと田町からの花火

皆さん、こんばんは。
暑い日が続きますね。
世の中はお盆休みとのことです。
ゆっくりとした時間を過ごされておりますでしょうか。

私は先週末、山口県下関に行って参りました。
なぜ下関かといいますと、実は2年半前にアクティブラーニング(以下AL)社の
羽根拓也先生と共に、広島や山口大学でのAL講義を取材させて頂いたご縁で、
再び伺うこととなりました。

久々に再会しますコンサルタントの中村さんとお会いさせて頂き、
下関の町並み、歴史、そして観光の状況などを伺いました。

朝一の新幹線で約五時間。
小倉を乗り着いて下関に参りました。
金子みすずさんの詩が掲載されておりました。
青い海と空の向こうには九州地方が間近で見えます。
コンサルタントの中村さんと合流をした途端、羽根先生とも偶然バッタリ!

今回の旅は、二年半前にデジハリの羽根拓也先生を通じてお会いさせて頂いた

山口の中村伸一さんという方に、コンタクトを取ったところから生まれました。
山口さんにお会いするのもその時以来、羽根先生とお会いするのも約二年ぶり。
ちょっと昔の自分と比較して、今の自分だからこそ、ご提案できるものを
投げかけさせて頂き、この地にたどり着くこととなりました。
久々のAL講義。
恒例のグループ内交流からスタート致します。
二年前に受講していた内容がさらにバージョンアップしており、ビックリしました!
アシスタントの得能さんも、サポートに磨きがかかっておりました。
山口では、中村伸一さんを通じて、山口ー高知のコラボネットワークが始まっております。
異業種が自ら積極的に現状の課題解決に向けて、自身の強みを分析し、異業種とのマッチングを図っていくという試み。
山口と高知とのコラボ、明治当時は、山口では吉田松陰や、高杉晋作、伊藤博文、
高知では、坂本龍馬と、維新精神の歴史がある地域同士のコラボが現代でも
起こっていることに、不思議なワクワク感を現地で感じました。
現在、地域がとても熱いです。
東京にいると感じられない風土や歴史の良さ、人々の温かさがふつふつと伝わって参ります。
つい先日、福島に行ったばかりですが、地方には自分たちから何かを発信していこうとする気合いが強く感じられます。
お夕飯は、中村さん一押しの旅館にて。
羽根先生の講義にいつもながら感銘を受けながら、そのまま地元の方々と
お夕飯の席で懇親会。
中村さんから、ちょっと不思議な場所にあるんですよ、と連れていかれたのは、
ピンクのネオンが立ち並ぶような場所。
その一角に、ふと姿を現す割烹旅館「寿美礼」。
表玄関は不在あるたたずまいなのに、珍しい場所にあるなと思いながら、
旅館に入りました。
下関は、初めて訪れる場所でして、
自分が大好きな岩手の釜石と同じような磯のにおいがプンプンする土地でした。
ふぐを代表する地元の海産物に舌鼓を打ちながら、
実はこの旅館の亭主、和田健資さんは、東京の大手人材派遣会社に10年近くお勤めされ、
下関のご実家に帰って来られた方で、
帰って来られた当時は、旅館の経営で大変ご苦労をされたとのことです。
先の述べたこの旅館を囲んでいるネオンのお店も、
和田亭主さん曰く、戦後の混乱期に自警をするために地元に根付いた勢力の名残とのこと。
当時は、近くの諸外国からの人道問題が頻発していた世情で、自分たちの力で地域を守る力が働いていたということを、私たちに判りやすくご説明されておりました。
その歴史を聞かされると、私たちは得てして、見えているものだけから物事を判断しがちですが、
その過去に隠された背景や、繋がる想いは、その場所に訪れて、顔を合わせて見るまではなかなか判らないものだなと感じてなりませんでした。
和田亭主のとてもお上手なお話と、下関の魅力ある海産物に舌鼓を打っていると、
和田さんから、二階に「薫’s ROOM」という部屋があることを教えて頂きました。
この「薫’s ROOM」、実は亭主のお兄様が作曲家の和田薫さんということで、
お兄様への敬意を込めた部屋には、Discograpyがズラリと並んだ内装になっておりました。
数々の輝かしいご経歴がずらり!
お兄様も、大学時代は大変ご苦労されたそうで、
キャリアがほとんどない中で学業に勤しまれて、最後は主席でご卒業されたとのこと。
薫さんは、新しい道を切り開くのはお得意なようで、
雅楽を用いた独自のオーケストラで独自の世界観を生み出しているとのこと。
代表作は、「犬夜叉
でも、実は私が大好きなのは、現地では誰にも話しませんでしたが、こちらです!(笑)
毎週のように観ていて、全ての回を覚えている位のフリークでございます!(笑)
いつも思うことは、現地に訪れてみて、出会うものはかけがえない発見と、
そして自分自身の再発見。
だからこそ、私が映画をやっていて良かったなと思えますし、
この感動を沢山の人に伝えていきたいと思っております。
師匠である羽根先生とべったりの締めくくりは、
田町にある羽根先生の事務所44階から眺める絶景の光景!
贅沢で、一週間のがんばりが一気にふっとんでしまいました。
ハーバードのヤコブ先生や、
ALメンバー皆様と一緒に過ごさせて頂きました貴重な時間でした。
羽根先生、中村さん、そして下関の皆さん、本当にありがとうございました!
これからもどうぞ、よろしくお願い致します。

2012年野馬追を終えて

皆さん、
こんにちは。
お変わりはございませんか。
暑い日が続きますね。

すでに8月に突入! 世の中は間もなくお盆休みなんです!
今年はまだ一日もお休みが取れていないので、
どこかで空でも眺めポカーンとできる日があると良いなと思って至ります。

さて、先月末、相双地区毎年恒例の「相馬野馬追」に昨年に引き続き、
行って参りました!
今年は海外の番組を制作するチームの一人として、参加をさせて頂きました。
始発で新宿スバルビルを出発。
直前まで作業していた仕事をスタッフに引き継ぎました。
さあ、四日間の遠征が始まります。

お仕事仲間と、初めましての大阪の制作者と三人で出発!
現地に着くや否や、雲雀が原で大阪チームと合流!
大阪チームのディレクターやカメラマンと合流をして、
現地のシミュレーションやアングルの擦り合わせをしていきます。
現地の方々も早々に朝から騎乗の練習をしておりました。
初日は、大阪チームと深夜まで懇親会。
山形に酒造を移された壽を堪能しながら、26時までわい
この行事を知ることになったのも震災が起きた直後に南相馬市に出向くことがきっかけでした。
それまでは南相馬の地理的な位置もおぼつかないまま、この地区独特の馬文化や伝統を知り、
すぐ近くでは、津波による被害を受け、放射能汚染で生活がままならぬ状況の中、
たくましく生き続け、土地を愛する方々がいらっしゃることに、
まず自分は驚きと同時に、自分はなんて緩やかな生活を送っているんだろうと、
半ば恥ずかしくなるような思いでした。

二日目も明朝から出発し、取材を開始!
昨年は出馬できなかったが、今年は出馬される方、
長年野馬追に参加してきた方が、今年は息子が晴れの舞台に初参加される方など、
皆さん思いやじょうきょうは
相馬中村神社では、
本番間もなくの空気が漂っておりました!
昨年は初日から入った相馬でしたが、
今回は前日祭から入らせて頂きました。
総大将による訓示や空砲での射撃や相馬太鼓の演奏や舞踊など
とても見応えのある内容でした。
相馬高校の学生さんたちによる相馬太鼓の演舞披露がありました!
力強く、エネルギーに満ちた響き。

今年は2週間前に相双地方に入れたため、野馬追の本番が行われるまでの

当人たちの過酷な練習や、意気込みや気持ちの変化、
はたまた家族の温かい支えなどを間近で拝見することができました。

三日目も明け方前に宿舎を出発しました。
午前三時から出馬の準備をされておりました。
9才の若い騎馬武者も勿論3時起きです。
玄関先では、出陣に向けて、大きなかけ声で挨拶をされておりました。
昨年は出陣がなかった中之郷・太田神社付近より。
400頭以上の騎馬武者が街中を練り歩いていきます!
本年の総大将は相馬市長の立谷氏
昨年の震災慰霊の年から、今年は復興元年として立ち向かう現地の方々の意気込みは、
私たち都会の環境ではなかなか接せられない生き様を感じました。

相馬野馬追二日目は、螺役たちが三社妙見神社の神輿に対して
拝礼の法螺貝を鳴り響かせます。
時間は午前4時。
今年は甲冑競馬が復活しました!
間近で観させて頂きましたが、すごい勢い!
神旗争奪戦も初めて現地で観ました。
高々と打ち上げられるご神旗は清々しい。
無数の騎馬武者が一斉に走り出す姿は圧巻です。
野馬追二年目を体験して、感じたのは、
家族の繋がり。
親から子どもに、馬を通じて騎乗の仕方をならい、朝早くから親子共々、
練習に向かい、馬と慣れ親しみ、人馬一体となって生活を共にする。
そんな都会では決して観られない姿が相馬地方には残っておりました。
そこには、家族との繋がり、先祖大体への畏敬の念、
そしてこれからの子孫に対して文化・伝統を継承していこうとする想いが
生活の節々に脈々と流れていることでした。
何より、相双地方の方々は温かい。
被災をされたにも関わらず、外部の私たちを温かくもてなしてくださり、
気遣いや挨拶を欠かさない姿勢に大変感銘を致しました。
人が生きるというのは、決して一人では生きることができません。
家族との繋がり、そして家畜、動物との繋がりがあって、
初めて、人間は生かされるのだと思います。
今、私たちに必要なものはいったいなんなのでしょうか。
お金の豊かさでしょうか。豊富なエネルギーの生活でしょうか。発達した情報の伝達量でしょうか。
それらは確かに素晴らしい。
ですが、私たちは元来、そんなものが無くとも、精神的に豊かに生活をしてきたはずです。
時代は流れ、文明は発展し、過去に戻ることはありません。
そんな中、古来の人間が大切にしてきた、家族との絆や、生活の知恵、
そして他の生き物への感謝や配慮は、現代の日本人が大きく忘れていきがちなものだと思います。
いくら高度な学習をせども、貨幣主義に走ろうとも、
心の育たない文化は衰退するのではないでしょうか。
現在、日本はそんな過渡期の重要なターニングポイントにあると思います。
だからこそ、変えていくべきものは、大きな組織構造でも、過去の遺物でもなく、
私たち一人一人が社会とどう接していくべきかという意識の変革だと感じてなりません。
震災がなかったら、私はこの野馬追を自分の目で観ることは無かったかと思います。
この一年、自分にとっても大きな意識の変革の年でした。
それに気付いたのは、
自分と接してくれた仲間たちや震災を受けた方々との想いに他なりません。

最終日、意気投合した仲間達と食べた中華。
昨年、同志と食べた中村神社近くの料理屋さん。
話しかけた店員さんが、どこから来たんですか? と尋ねてきたので、
東京ですと、応えると、私も東京に行きたいと話してました。
東京よりもこの土地の方が何十倍も魅力ですよと、思えてしまうのは、
やはり外の人間だからこそなのでしょうか。
来年も是非、野馬追に出向きたいと思いました!
福島の方々との想いは、一心同体である気がしてならない数日間でした。