蛇口と受け皿

蛇口と受け皿

皆さん、こんにちは。
講演会を通じて、自分のことを振り返ると、思わぬ発見や気付きがあるものです。

映画「ノー・ヴォイス」は「殺処分」の話題を取り上げながら、
殺処分批判ではない視点で映画を制作致しました。

取材を重ねるうちに、知ったことは、
「殺処分」を行っている行政が悪いかと言えば、
そこだけの問題ではないということなのです。

行政の方々は日々、この問題に向き合い
苦しみながらも処分行為をせざるを得ない現実があるということです。

映画のタイトルに付けている「捨てられる命ゼロを目指して」も、
そのような経緯があり、殺処分ゼロという表現を避けている理由があります。

ドキュメンタリーパートに出てくるイラストです。(画:いなあきこさん)

こちらは映画のドキュメンタリーパートで出てくる「蛇口と受け皿」の関係図。
保健所やセンターに収容された犬を助ける活動をしている受け皿の方々。
その原因は、忙しい、手間が掛かるなどで飼えなくなり犬猫を手放された要因の蛇口。

受け皿を増やすと共に、蛇口の部分である犬猫と終世一緒に暮らしていくための
心構えや意識がない限りは、いつまで経っても不幸な犬猫が減らないということです。

教育、福祉、モラルの啓発様々な視点から、この蛇口を止める
そして共に幸せに暮らす在り方を考えていく環境が必要だと感じております。

さて、インターネットの世界も実はこの「蛇口と受け皿」の構図と
全く同じではないかと感じております。

フィルタリング、法規制、利用制限
便利で楽しいインターネットの世界にも、
他者と共に快適に暮らすためには、
使う上での基礎知識、モラルの共有が必要不可欠に思います。

特に思うことは、インターネットを悪用が起きるのは「何故?」であるか、
根本原因をしっかりと見つめていく姿勢が必要だと思います。

そこには、きっとメンタル面、心理的分析などのインターネットの仕組みとは違う
人の心の状態を交えた相互分析が重要だと思います。

「インターネットと心の関わり方」
10年ぶりにインターネットに関わる活動に携わらせて頂き、
映画「ノー・ヴォイス」と長らく向き合って来て、
この時期に、皆さんの前で発表させて頂き、改めて気付いた視点でした。

coney

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