3月 2014Archives

不幸せではないことは、幸せであると限らない

皆さん、こんばんは。
間もなく四月、三月もあっという間でした。
如何お過ごしでしょうか。

2014年も1/4が過ぎようとしております。
おいらは、4月は少し整理の時間に充てようと思っております。
5月はいろんなことが動き出しそうなので、
今まで出来なかった作業や友人と過ごせる時間を大切にしようと思っております。

さて、今日は日本の「空気」に付いて、お話します。
前にも鴻上尚史さんの「世間」と「空気」を書きましたが、
小さい頃からおいらがとても苦手だった日本の空気は、大人になっても顕在です。

例えば、満員電車。

おいらは月に1、2回程度しか乗ることがありませんが、
おいらの荷物は大抵多いです。
3、4つバッグを抱えていることはザラにあるのですが、
満員電車では乗ると、大変。
いつも乗る時に、「乗ります!」「通ります!」と必ず声を掛けますが、
反応する人はほとんどおらず、
満員電車でなかったとしても、他人である自分の声に反応するのは、ごくわずか。

赤の他人には関心がないのかなと思う瞬間を東京の電車に乗る際に必ず感じます。

背中に大きなバッグを背負って、イヤホンを付けている大学生に
「通ります」と言っても、隙間を空けてくれるわけでもなく、
でかいバッグが常においらの体にぶつかるのに、気付き訳もなく。
可能な限り、「バッグは下ろした方がいいんじゃないですか?」と伝えてますが、
電車に乗る度に、そんなことを毎回伝えるのってなんだかなという気持ちに駆られます。

先ほども、都心で友人が酔っぱらっていて
フラフラして通行人の方に迷惑になっていたので
「ごめんなさい、迷惑かけて」とその通行人に声をかけると、反応せずに、
その後、仲間内でこそこそと話だし、
おかしいだとか、変な人だとかってことを平気で言うんです。

昔から感じておりましたが、
日本ってコソコソ平気で言うのが好きなのかなと感じてなりません。

その直後、今度は、別の中年の会社員が駅近くを走っていて、
おいらの体にぶつかったのですが、
「ごめんなさい」と言いつつも、片手を振って振り返りもせずに
さらっと改札を通る姿もなんだかおかしいなと思いました。

自分の知っている人には関心があるけど、関係ない人はどうでもいい、
この日本に存在する空気の存在が、おいらは小さいころからもの凄く苦手で、
時に自分が日本人でありつつも、「日本人が嫌い」と話すことも少なくありません。

もしかすると、「日本人が嫌い」と言うよりも、
「大都市の東京が苦手」なのかも知れません。

例えば、居酒屋やパブ。

東京だと空気を非常に重んじるので、
知らない人に話しかけるのは御法度のような雰囲気がありますが、
地方の居酒屋(東京でも雰囲気の良い居酒屋では、偶にありますが)や海外のバブでは、
フランクに知らない相手と話して、意気投合することは沢山あります。

そうして知り合った仲間も沢山おります。
実は高円寺にもそういう仲間が沢山おり、
そう考えるとおいらのいる高円寺は、外国のような土地なのかも知れません(笑)

東京がどうして、こんなにも他人に無関心であり、冷たいのか。
それは幸せの視野が自分の見える範囲にしか感じられないからではと思ったりします。

他人に対して良くしても、自分に利益はないな、とか
他人が何を話しても、知らない人間って関わりたくない、面倒くさい、
そんな思考が働くからではないでしょうか。

利益とは、得てして、
お金になる、便利と言った即効的な価値に重きを置かれがちですが、
本質的な価値は、きっと、
目先の利益では得られない、持続的で、
かつ目に見えづらいものなんだとおいらは思ってます。

おいらが思うことは、
東京にはなくて地方や海外に存在するものが沢山ある。

映画の活動をして、地方や海外に沢山訪れて、
東京とは違う人の温かさに触れると、
東京は日本の代表地域というよりも、大変異質な日本と思うことが少なくありません。

こんなデータを見つけました。
http://ayacnews2nd.com/archives/51980097.html

世界の中でこれだけギュウギュウに人が入れ違っていれば、
感覚もそれに慣れてしまい、赤の他人も関係無しだよなと
思えてしまいます。

反面、大震災ではお互いを助け合う姿があったことを思うと、
私たち東京人には、日頃隠しているけれども、
ちゃんと江戸時代やその昔から培っていた隣三軒両隣の精神が
今でもちゃんと残っていることを伺うことができます。

無くしているわけではなく、忘れているだけの私たちの精神的な幹を
大震災時だけではなく、日常でも大切にしていけたら、
もっと良い関係が生まれるのではと常々考えております。

そんな風に思い起こしたのが、数年前。
東京にいて、便利なこと、仕事の案件の量など、様々な恩恵はあります。
ですが、そろそろおいらの心が限界なので、後三年今ある活動を確立できたら、
拠点は東京以外の場所に置きたいと本気で思っております。

そこには、自分のライフワークである
幸せの在り方を可視化してみたい、というおいらの欲求があるんだと思ってます。

漠然としならが時間が流れ、「空気=not 不幸せ」が漂っている東京。
でも、おいらは「not 不幸せ≠幸せ」だと思ってます。
不幸せでないということは、幸せであるということと同値ではないこと」、
ちょっとした気付きとして、広く伝えていきたいなと思っております。

小沢健二さんとおいら

皆さん
こんばんは。
今日は大雨でしたね。
おいらは大阪出張などで溜め込んだ洗濯物をようやく洗濯できたのに、
ずぶ濡れ状態でした(笑)
明日、晴れるかしら。晴れたらいいね。洗濯物が思い切り干せます。

今日は、久々にいいとも♪ を観ました。
おいらが中学生の時にハマっていた小沢健二さんが16年ぶりにテレビに登場でした!

おいらが小沢健二さんにハマったのは、
文化放送で聴いていたフライデースーパーカウントダウン50で流れた
「さよならなんて云えないよ」でした。
確か、中2の秋。

……衝撃でした。

当時は、小学生からずっといじめられていて、
中学生になったらなおイジメがひどくなっていって、
周りの子たちと馴染めずにいて、
生きるってなんてつまらないことなんだろう、
毎日学校に行くのが苦しくてたまらない、
そんな風に感じていていた時に、
出会った音楽が小沢健二さんでした。

小学生の時は松任谷由実さんの曲ばかりを聴いていたので、
周りの生徒とは全く話が合わずに、
音楽の感性の違いや、周りの生徒たちとの会話のギャップにずっと悩んでいました。

中学生になるとイジメももっとひどくなり、
恥ずかしくて、家族にも学校にもそのことを話せずに、
家に帰ると悔しくて部屋でずっと泣いていた想い出があります。

そんな時に、ラジオから流れて来た小沢健二さんの歌声は、
自分が大好きな明るくて温かい歌声で、
歌詞も曲も当時の自分は、とても大好きになり、
すぐ様ファンになってしまいました。

レコード店に通い詰めては、
ファーストシングルの「天気読み」から
最新曲まで全ての歌を暗記するまでになりました。

うちの学校は男子校で進学校、とても堅くて真面目な雰囲気の学校で、
おいらがオザケンが好き、なんて話すと周りは
ホモだとかキモいとか、そんな陰口をされておりました。

小学生の時から、とことん周りの子たちと感性が合わなかったんでしょうね。

でも、あの当時、小沢健二さんの歌と、
王子様のようなキラキラとした存在は、自分にとって憧れの存在で、
こんな人がいるんだな、なんて衝撃的でした。

毎週聴いていた文化放送のスパカンにも、
「僕らが旅に出る理由」で自分の名前がリクエストリスナーとして
MCに読み上げてもらった時は、とても嬉しかったです。

そんなオザケンも45歳。

今日は仕事を少しだけ休んで、
いいとも♪ で弾き語るオザケンに酔いしれておりました。

振り返ると、自分の幼少期って、人と考えや行動があまりに違い過ぎて、
それが悪いことだと自分を追い込んだ生き方だったなと思います。
もしかしたら、それは日本の空気や世間が生み出す、
郷に入れば郷に従えのような風潮なのかも知れません。

でも、それは時として個人を追い込み、そして息が出来ないまでにのしかかり、
時として、死ぬことまで追いやってしまう負の力を持ち合わせているんだと思います。

今だから言えることは、
大多数と違う考えは素晴らしいということです。

勿論、間違えをすれば他者から批判はされることはあるかも知れません。

本人が気付いていない配慮のなさや過ちをしたら、
それは省みて、成長をしていく必要があるのだと思いますが、
だからと言って、
独特な考えや発想が全て悪いという訳ではないのです。

そして、陰で物を言い、相手を追いつめれるのは決して正しいとは思いません。

もし、そんなこと見えない暴力が起きているとしたら、
それを受けてしまった人間は、自分を省みながらも、
数の勢いに押しつぶされてはいけない自信を持てばいいんだと思います。

大多数と違っても、それはその人しか知り得ない価値があるわけですし、
大多数が正しいかと言えば、多分半分位は間違ってます。

謙虚な姿勢、常に自分の行動を振り返る習慣を大切にしながら、
他人と違う自分を褒めてあげて、誇りに思うことが大切なんだと思います。

誰かと違うことは、恥ずかしいことでも、批難の対象でもなく、
自分らしさという「らしさ」なんだと思います。

その「らしさ」を誇りながら、それを共感してくれる仲間と繋がり、
自分とは違う価値観の人がいることを認め、
自分というのは世界でたった一つの宝物であることを
楽しみながら生きていけたら、
きっと、誰かをねたむこともなく、ネガティブな対抗心もなく、
自然と笑顔を広げていける幸せを掴んでいケルンじゃないかなと
そんなことを考えています。

おいらにとって、そんなポジティブで
世界がとても明るい光に満ちているってことを教えてくれた小沢健二さんは
とても大切で、尊敬する人物なのです。

僕らの住むこの世界では、旅に出る理由があり、
踏み入れた新しい世界では、知らない笑顔が僕らを待ってる、
って思うんですよ:)

大阪シアターセブン舞台挨拶

皆さん
こんばんは。
少しずつ暖かくなって参りましたね。
如何お過ごしでしょうか。

私は先週末、大阪シアターセブンで舞台挨拶とトークショーをさせて頂きました。

十三シアターセブンは第七劇場の下のフロアにありました
建物には上映中の作品の紹介ポスターがずらり!

大阪に着いてから、エスカレーターの歩くレーンが東京と左右逆であることに
戸惑いながら、
梅田を経由して、十三の劇場に参りました。

当日は、沢山の方々にご挨拶をさせて頂きました。
福島の野馬追の撮影をご一緒させて頂いた仲間たちも駆け付けて下さり、
質疑応答含め、あっと言う間の30分でした。

とてもステキな小屋でした。お客さんとの距離がとても近く温かい雰囲気でお話させて頂きました。

 映画を創ったきっかけや、震災が起きてからの出来事、
相馬、南相馬に出かけて相馬野馬追と出会ったことで気付いた
人間と動物との共生の在り方などなどをお話させて頂きました。

会場からは、片目がつぶれてしまった猫を飼われている方のお話や、
ご高齢の方で愛護活動をされている方から映画への感想を賜りました。

私はずっと子供たちに観てもらいたいと思っておりましたが、
会場の活動家の方から高齢者にも是非観てもらいたいという
ありがたいお声を頂きました。

日本は益々高齢化社会になっていきます。
その中で、犬や猫と暮らすことで受ける恩恵や癒しの力が多々あると思います。
ただ、ご高齢の方は、犬猫を面倒見られなくなった際の
犬猫のケアを考えて、飼わねばならない前提がありますので、
そのことを伝えて、人間と犬猫が共に幸せに暮らす為に、
正しい知識や飼うための意識を広めて欲しいという
その方からのお言葉、とても大切に受け止めさせて頂きました。

シアターセブン、劇場スタッフ皆様にも大変よくして頂きました。ありがとうございました。

本作はこれから、自主上映会がドンドン行われて参ります。
4月20日に武蔵小山、5月3日は私の下積み時代の思い入れのある八丈島、
6月21日は船橋で、そして中野や埼玉、徳島でも上映会の動きがあるようです。

大阪でお会いさせて頂きました皆様からのご感想を大切に、
これからもまだまだ本作、走り続けて参りたいと思っております。

犬猫が幸せな社会は人間にとってもきっと幸せな社会であるという
気持ちを持ち続けながら、
全国各地の皆様にメッセージを届けて参りたいと思います。

以下、番外編です(笑)

大阪で久しく会えなかった仲間たちと20名近くお会いさせて頂きました。
その出会いから、東京に帰る前に赤穂に立ち寄らせて頂きました。

大石神社で記念写真!(笑)

赤穂の町並みすっごく綺麗でステキですね。
潮風が大好きな釜石の町を彷彿させて、心地よく、
時間の流れがゆっくりとしている空気がとても気に入ってしまいました。

念願だった牡蠣と遭遇!!

そして、広島、福島で食べられなかった牡蠣に思いがけず遭遇!
まさか、大阪に出向いて、そこから牡蠣に遭遇するなんて夢にも思いませんでした。
赤穂に連れて行ってくれたお友達に大感謝!!

二人で一時間で生ガキ、焼き牡蠣60個完食!
ご馳走さまでした!!:)
また近く赤穂に参りますよ。(本当に近く(笑))

ノー・ヴォイス大阪/沖縄劇場公開と各地の自主上映会

皆さん
こんばんは。
ブログがぽっかり一ヶ月空いてしまいました。
今年も間もなく桜の季節ですね。
まだまだ寒い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。

私は1月、2月は連日仕事や論文執筆に追われており、
今日少しだけゆっくり編集作業をしております。

2007年から通っておりましたデジタルハリウッド大学院も
無事修士論文を提出して、今月卒業式です。

入学当時からずっとご一緒させて頂いた教務の坂本さん、ありがとうございました。

デジハリは、思い返せば、早稲田の国際情報通信研究科に通っていた頃、
中島哲也監督の作品が大好きで、本格的にVFXを勉強したいと思い、
通りかかった専門学校がデジハリでした。

その時、私と面談をして下さった女性の方が
私と共通の知り合いがいることで盛り上がり、
すぐに専門学校に入ることを決めたのでした。
通い始めて数ヶ月、同じビルに入っていた大学院の活動発表を見学して、
その流れで大学院の受験をすることになりました。

専門職大学院で、ちょっと特別な枠組みの大学院であったため、
当時は最長10年間在学ができることも魅力で、
学位取得が目的ではなく、様々な視点からゆっくりと知識を増やしたいと思い、
二度目の大学院に通い始めました。

ファイナンス、コンプライアンス、ICTなど映画のジャンルを越えて、
知識を養うことができたことがとても良かったです。
教鞭に就かれる先生方も個性的な方々が多く、
講義の枠を越えて、深い交流を持たせて頂きました。

私が入学した頃は、20代が少なくて、30代、40代の学生が多い
面白い環境でした。
刺激的でしたし、当時は26、7でしたので、人生の先輩方から
沢山のことを学ばせて頂きました。

そういえば、うちの会社は大学院に入学した流れで
立ち上げようと決意した会社でした。
デジハリにはいろいろな想い出が沢山あり、
晴れて四月からは、学生の身分を卒業して、
事業と制作に専念していきたいと思っております。

さて、話は変わりますが、
映画「ノー・ヴォイス」昨日より大阪シアターセブンと沖縄の桜坂劇場で
公開が始まりました。
ご覧になった方々から、温かいメッセージや嬉しい感想を沢山頂いております。

そして、自主上映会も好評で、皆さんの顔を観て、
映画の後に犬猫にまつわるトークを行っております。

千歳船橋の会場は満員! 主催のぺろままさん、ゲストのやまちゃん、ありがとうございました!:)

自主上映会は、これから武蔵小山、八丈島、船橋、そして埼玉と
ドンドン広がりを見せております。
GWは八丈島に参ります、かれこれ6、7年ぶりです。

春に向けて、いろんな準備が始まって参りますね!:)