小沢健二さんとおいら
こんばんは。
今日は大雨でしたね。
おいらは大阪出張などで溜め込んだ洗濯物をようやく洗濯できたのに、
ずぶ濡れ状態でした(笑)
明日、晴れるかしら。晴れたらいいね。洗濯物が思い切り干せます。
今日は、久々にいいとも♪ を観ました。
おいらが中学生の時にハマっていた小沢健二さんが16年ぶりにテレビに登場でした!
おいらが小沢健二さんにハマったのは、
文化放送で聴いていたフライデースーパーカウントダウン50で流れた
「さよならなんて云えないよ」でした。
確か、中2の秋。
……衝撃でした。
当時は、小学生からずっといじめられていて、
中学生になったらなおイジメがひどくなっていって、
周りの子たちと馴染めずにいて、
生きるってなんてつまらないことなんだろう、
毎日学校に行くのが苦しくてたまらない、
そんな風に感じていていた時に、
出会った音楽が小沢健二さんでした。
小学生の時は松任谷由実さんの曲ばかりを聴いていたので、
周りの生徒とは全く話が合わずに、
音楽の感性の違いや、周りの生徒たちとの会話のギャップにずっと悩んでいました。
中学生になるとイジメももっとひどくなり、
恥ずかしくて、家族にも学校にもそのことを話せずに、
家に帰ると悔しくて部屋でずっと泣いていた想い出があります。
そんな時に、ラジオから流れて来た小沢健二さんの歌声は、
自分が大好きな明るくて温かい歌声で、
歌詞も曲も当時の自分は、とても大好きになり、
すぐ様ファンになってしまいました。
レコード店に通い詰めては、
ファーストシングルの「天気読み」から
最新曲まで全ての歌を暗記するまでになりました。
うちの学校は男子校で進学校、とても堅くて真面目な雰囲気の学校で、
おいらがオザケンが好き、なんて話すと周りは
ホモだとかキモいとか、そんな陰口をされておりました。
小学生の時から、とことん周りの子たちと感性が合わなかったんでしょうね。
でも、あの当時、小沢健二さんの歌と、
王子様のようなキラキラとした存在は、自分にとって憧れの存在で、
こんな人がいるんだな、なんて衝撃的でした。
毎週聴いていた文化放送のスパカンにも、
「僕らが旅に出る理由」で自分の名前がリクエストリスナーとして
MCに読み上げてもらった時は、とても嬉しかったです。
そんなオザケンも45歳。
今日は仕事を少しだけ休んで、
いいとも♪ で弾き語るオザケンに酔いしれておりました。
振り返ると、自分の幼少期って、人と考えや行動があまりに違い過ぎて、
それが悪いことだと自分を追い込んだ生き方だったなと思います。
もしかしたら、それは日本の空気や世間が生み出す、
郷に入れば郷に従えのような風潮なのかも知れません。
でも、それは時として個人を追い込み、そして息が出来ないまでにのしかかり、
時として、死ぬことまで追いやってしまう負の力を持ち合わせているんだと思います。
今だから言えることは、
大多数と違う考えは素晴らしいということです。
勿論、間違えをすれば他者から批判はされることはあるかも知れません。
本人が気付いていない配慮のなさや過ちをしたら、
それは省みて、成長をしていく必要があるのだと思いますが、
だからと言って、
独特な考えや発想が全て悪いという訳ではないのです。
そして、陰で物を言い、相手を追いつめれるのは決して正しいとは思いません。
もし、そんなこと見えない暴力が起きているとしたら、
それを受けてしまった人間は、自分を省みながらも、
数の勢いに押しつぶされてはいけない自信を持てばいいんだと思います。
大多数と違っても、それはその人しか知り得ない価値があるわけですし、
大多数が正しいかと言えば、多分半分位は間違ってます。
謙虚な姿勢、常に自分の行動を振り返る習慣を大切にしながら、
他人と違う自分を褒めてあげて、誇りに思うことが大切なんだと思います。
誰かと違うことは、恥ずかしいことでも、批難の対象でもなく、
自分らしさという「らしさ」なんだと思います。
その「らしさ」を誇りながら、それを共感してくれる仲間と繋がり、
自分とは違う価値観の人がいることを認め、
自分というのは世界でたった一つの宝物であることを
楽しみながら生きていけたら、
きっと、誰かをねたむこともなく、ネガティブな対抗心もなく、
自然と笑顔を広げていける幸せを掴んでいケルンじゃないかなと
そんなことを考えています。
おいらにとって、そんなポジティブで
世界がとても明るい光に満ちているってことを教えてくれた小沢健二さんは
とても大切で、尊敬する人物なのです。
僕らの住むこの世界では、旅に出る理由があり、
踏み入れた新しい世界では、知らない笑顔が僕らを待ってる、
って思うんですよ:)
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