皆さん、こんばんは。
睦月も後半戦、如何お過ごしでしょうか。
年始からいろんな方々とお話させて頂き、
今日はマイノリティについてお話したいと思います。
最近とても観たかったドキュメンタリー「立候補」をDVDで拝見致しました。
マック赤坂さんの奮闘を様々な候補者の人生模様を織り交ぜながら描いた秀作です。
演出の仕方や思わず笑えるカットまで、テンポ感がよく素晴らしいと思いました。
マックさんはマイノリティですが、かっこ良く映るんです!
奇をてらっているかのように見えても、一つの芯がしっかりしているから、
どこか見過ごせない、どこか共感を覚える、そんな感想を持つ方も少なくないのでは
ないでしょうか。
得てして、私もマイノリティだと思います。
というか、マイノリティが好きなんでしょうね。
多数派にはなぜか懐疑的。というよりかは、マイノリティが持つ可能性の大きさや
世の中を良い意味で疑う視点が好きなのでしょう。
小さい頃から虐められてきたり、家にも学校にも居場所がなかったので、
発想がきっと周りと大分違っていたんだと思います。
未だに親父とは大げんかをします。
父は権力や金や肩書きが大好きな人間です。
そんな父と本質的な話でぶつかり合おうとしても、一方的に押さえ付けられ、
議論ができません。
そんな悲しさに苛まれながら、親子の不仲に悩んでおります。
価値観の違いというのは、何十年経っても平行線なことはあるのだなと感じます。
世の中の大多数というのは、安定であり、危険は少ないように思いますが、
ある種不安定さに弱く、危険に気付きづらいという要素も含んでいるように思います。
食の問題、医療、エネルギー……
身近にあるマジョリティは、それが当たり前が故、
私たちの思考からはそれが無くてはならないものと考えてしまいますが、
それがある種の危険性をはらんでいることを忘れてしまうことこと、
自分の身を脅かすことに繋がると考えています。
みんながマック赤坂さんみたいになれとは言わないですが、
そういった視点で物事を観て、価値観の違いを胸を張って主張していくことこそ、
本来の生きる姿だと常々感じます。
多数決で決まらない社会は、きっと創造に溢れ、相手を理解する姿勢を追いかけ、
そこから新たな価値や希望を見いだしていけるのだと思います。
そんな制作者で生涯ありたいし、社会の視点を外した立ち位置から
物事を言及していける人間でありたいと、今月は特に思っております。