エデュテイメントとアクティブラーニング

エデュテイメントとアクティブラーニング

こんばんは。
今年はGW10連休という方もいらっしゃるみたいですね。
羨ましいなと思いつつも、自分がそんなにお休みを取ってしまったら
きっと1日で飽きちゃうかもしれないなーと思ったりもしています。

さて、みなさんはエデュテイメントという言葉をご存知ですか。
教育分野では何十年前から使われている言葉として、
教育と娯楽を融合させた意味で用いられます。

子供向けのテレビ番組や博物館などでの学びがそれに相当します。
文部科学省でも「エデュテイメント」の専門ページがあるんですね。
初めて拝見して、思わず面白いなと思いました。

小生が掲げている映画×アクティブ・ラーニングもまさに
エデュテイメントの分野に近しいんだろうなと思っております。

学びには、体感や体験を通じて、五感で身につけたことほど、
記憶に定着し、持続してそれを生かそうと思う意識が芽生えると感じております。

英語にせよ、理科にせよ、
話してみたり、実験してみたりして、
成功だけでなく、失敗をすることで、
それが自身の学びとして定着をする経験はございませんか。

そう、失敗をすることは、しっかりとした学びになっていく。
この発想は、エデュテイメントの枠を越えて、
人生の知恵として、学生がそれを自発的に生かしていく
きっかけになるのだと思っております。

英語の発音にせよ、日本語の本来の意味にせよ、
使ってみて、他者から初めて、それっておかしくない?
と指摘されることで、その言葉に対しての愛着が生まれ、
その言葉を返ってよく使うようになる、みたいなことってあると思うんです。

エデュテイメントも今までならば特定のテレビを見てこう学びましょう
とか、特定の場所にいって、こういう仕組みなんですよ
と知ることが多いと思うのですが、
体感をする上でも大切なことは、
「すべての答えが初めから決まっていないこと」
だと思っております。

答えが決まっていることを学ぶことは、
教える側もおざなりのままで定型化、習慣化してしまい、
そこにはワクワクが教える側、教わる側、双方で好奇心が薄れてしまい、
偶発的な気づきが生まれづらくなってしまいます。

固定のフォーマットとしての狙いを定めながらも、
常に学びの空間においては、
固定化されがちなことをあえて、流動的に、答えを定めないように設定させておく
そのことで、場の空気が円滑に流れ、自発的な気づきや主体性が生まれていくと思います。

小生が狙っている「シネマ・アクティブ・ラーニング」もそこでして、
しっかりとしたフォーマットや狙いを持ちながらも、
それをいかに答えを定めずに、教える側・教わる側が双方で
その偶発性を楽しめるか、
そこに人間力や社会で求められる瞬発力があると考えております。

ですので、小生の考えていることは、
様々な科目で、映画という枠を越えて、この偶発的な学びを
教える側同士で分かち合っていくかということなのです。

これは、一つのチャンレジですし、
様々な方々との横連携が必要だと思っております。

来週は早速、高校の国語の授業と大学のプログラムの研究室で
このことを実践してきたいと思っております!

coney

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