5月 2016Archives

初代・林家三平師匠に見る第3の視点

笑点の新メンバーに二代目・林家三平師匠が決まりました。
10年ぶりのメンバー一新、そして日本テレビ屈指の長寿番組なだけに
メンバーの刷新はさぞ、慎重に行われたことと思います。

小生なんかは、やはり初代林家三平師匠の方がとても印象深く感じられます。
小生小さい頃から、お笑いが大好きでして、
貪るようにお笑いを見ていたのが幼少期。

再放送で三平師匠の映像が出るたびに、
ああ、この人は天才だなと食い入るようにテレビを観ておりました。

何がすごいかって、三平師匠って結構噛むんです(笑)
途中で口上を忘れたりするんです。
それなのに、それを失敗と捉えず、逆に会場の心をつかむ笑いに変えてしまう。

よく小生が講演で使っている心理学のワードの「第3の視点」を
うまく使えているわけです。

例えば、会場にお客さんが途中から入ってきたとしても、
そのお客さんにスポットをあてて、低姿勢で
今までの要点をそのお客さんに伝える。

その時、それ以外の大多数の観客は三平師匠とお客さんに注目をするわけですが、
そこでいままで、大衆と三平師匠との関係性が崩れ、
お客さんの心に、ああ、この空間はこんなにリラックスしてもいいんだなという
心ののりしろが生まれるわけです。

初代三平師匠が作った失敗をも恐れず、チャンスに変える姿勢、
そして、お客さんと一緒の目線で一体となり場を生み出す心構え、
この習慣は、皆さんのお仕事の場でも大いに使えるものではないでしょうか。

犬猫の命から私たち大人も学ぶこと

小生が手がけた前作「ノー・ヴォイス」は
お陰様で各地での上映会が続いており、
来月は北九州で300名の会場で上映会が開催されます。

数日前は、NHKクローズアップ現代で
「追跡! ペット業界の闇」というタイトルで
犬猫たちの命が売買される日本のペット事情の裏側が放映されました。

小生も自分がこのテーマを手がける前は、
犬猫たちの命が大量に殺されていることなど知る機会がありませんでした。

映画・テレビと昨今殺処分を取り上げる作品が出てきてまいり、
こうして考える機会を積極的に作っていくことが
認知を促進していく上でとても重要だと思っております。

小生が懇意にさせて頂いております児童文学作家の今西乃子先生も
常々おっしゃられておりますが、
この問題はペット・犬猫を飼っている人の問題ではなく、
社会全体を通じて、人間がどう生活をしていくかという
生活のあり方の根源の問題だと思っております。

経済が回ることを追いかけていくと
自分はいいけど、自分とは関係ないものは無関心・無駄・利用してやる
という意識が働くのだと思います。

それがペットを物として考え、お金の代替しか考えられない
乏しい発想だと思います。

自分が苦しいこと、人の痛みを経験した人は、
それがいかに残酷で、辛いことかを知っております。
逆に人の痛みを分からない方というのは、
表面上は繕っていても、心の部分では利己主義に走るものです。

殺処分問題を、常々、蛇口と受け皿で伝えておりますが、
この問題で大切なことは、
受け皿(=殺処分間際の犬猫を保護する方)を増やすことはもとより、
蛇口である捨てられる命をいかに減らしていくことだと考えております。

犬や猫を飼う時に、飼い方の正しい知識や心構えを備える。
自分本位で買うのではなく、一緒に楽しく生活ができるためには、
何が必要なのかを飼う前に抑える。
犬猫の飼育には、時間もお金も多く必要。
それが確保できるのか。などなど。

犬や猫は基本自分たちだけでは生きることができません。
食べるものをもらい、衛生面・健康面でサポートをしてあげなければ、
生きることができません。

この考えとつながることには、自分たち人間も誰かのサポートがなければ
大人になれなかったということなのです。

自分が受けた恩恵を忘れてしまった時に、
人間はエゴが出て、自分勝手になります。

大切なことは、自分が知らず知らず受けた恩恵が必ずあり、
それを想像していくことで、
自然と他者や動物を大切にしていけるという発想です。

自分は前作を通じて、これからも伝えていきたいことは、
他者との協奏の中にある自分のあり方なのです。

志は気の帥(すい)なり

連日、アクティブ・ラーニング、表現力、コミュニケーション力をテーマに
様々なお打ち合わせが続きます。
昨日は、横浜の江田にあるパイオニアランゲッジスクールさんに行ってまいりました。
教育コンサルタントの沖山賢吾さんがお引き合わせ下さいました。
このご縁に心より感謝いたします!

パイオニアランゲッジスクールの中村由香里さんが、
小生のシネマ・アクティブ・ラーニングにご関心を示して下さいました。

目先の学力やテストを目的としない教育のあり方で気持ちが合致し、
今回こちらの塾のアクティブ・ラーニング、表現力で
新規店舗の開店とそこでの教育プログラムのお手伝いをさせて頂くこととなりました。

お母様の祐子さんが静岡で開業されてからの2代目にあたる由香里さんは、
ご自身の海外留学体験も踏まえて、日本に新しい教育のあり方を展開しようと
積極的にいろんなことをトライされております。

人間力や表現力を備えた英語の力を付けてもらうことが
社会に出た時に本当に役立つ学びとなるという信念は、
小生が現在展開しているシネマ・アクティブ・ラーニングと正にベクトルが一緒です。

お教室を見学させて頂きビックリ!

お子さんも先生も皆さん、笑顔がステキでとてもイキイキとされておりました!
由香里さんのお人柄溢れるお教室だなと。

こうして、民間の塾でも当社プログラムをご提供できることを
何より幸せに感じております。

他にも様々な教育関係の方々とお会いして共通する話題とは、
大学受験だけが目的の勉強から脱して、
社会との接点を感じながら、失敗を恐れずにチャレンジする精神性を持った
教育を行いたいということです。

みなさん、それぞれの教える立場から、それぞれが本気勝負。
周りの目を気にせず、向き合っている相手にとって如何に有益なものを
提供できるかを真剣に、そして果敢に取り組んでおられます。

そんなお打ち合わせを毎日こなしていると、
「志は気の帥なり」という孟子の言葉が思い浮かびます。

「人間は生まれながらにして善である」という性善説を説いたことで有名ですが、
小生はこの考え方、大変共感いたします。

「志は気の帥なり」
社会に役立つ目標を持った時、機会や人々を惹きつける精神的な力が宿る
とでも解説いたしましょうか。

大切なことは、社会全体に目を向けること。
その時に、自分の考えや仕事が、如何にしてどう役立つのか、
誰に向けて役立つのかが見えてくるものです。

マーケットの考え方でいうならば、
プロダクトアウトとマーケットインの考え方でしょうか。

プロダクトアウトとは、自社のノウハウを商品として具現化し、
社会にこういうものって必要ですよね? と提案すること。
例でいうなら、昔のウォークマンやiPhoneでしょうか。

マーケットインでは、今世の中が求めているものって
こういうものですよね? とお客さんの立場にたって商品を創出していくスタイル。
ソーシャル化が進んだ現在だとこちらの方がより定着しているのかもしれません。

どちらも相手のことを想像しながら、商品を世に打ち出しているという点。
前者は、まだその商品がヒットしていないけど、ヒットするよねと投げかける形。
後者は、みなさんのニーズがこれだけあるんだから、こういうものがあればヒットするよねという堅実型モデルです。

教室という学びの場にも、この考え方は必要だと思っており、
どちらかというと、上記モデルはプロダクトアウト型なのかもしれません。

ですが、実は、マーケットインでもあると思っており、
学力を伸ばしたい、成績を伸ばしたい、いい大学に入れたいという夢は、
実は、人間力やコミュニケーション力、精神力を伸ばしていくことで、
自然と学ぶための姿勢が備わってくる、
そして社会に於いて求められている能力を主体的に伸ばしていくことができる、
そう考えております。

急がば回れではありませんが、
目先の経済、目先の成果、目先の価値ではなく、
本質的な効果、持続的な成果を上げるには、
目に見えない人との関わりを如何に、習得していくかにかかっていると思っております。

仕事とは技術は元より人と愛で生み出すもの

毎日、深夜の帰りが続きます。
ありがたいことに、いろいろな方々のお誘いを頂きながら、
自分が今できることは何かを徹底的に考えながら、時間を使っております。

思うことは、生まれるお仕事、ご相談頂くお仕事全て、
その人の人柄に起因すると思っております。
技術の蓄積、技術の提供は勿論最低限必要ですが、
それよりも、その人がどれだけ、真摯に仕事に向き合っているか、
そのクライアントを尊敬できるかだと思っております。

これは、仕事だけでなく、教育現場での教師と学生との関係も近いと思います。
知識をいくら披露しても、それは相手に響きません。
テクニックをいくら伝えても、それは単なるコピーでしかありません。

大切なことは、いかに向き合っていることを深堀ができるか、
そして、その環境を取り囲んでいる人と如何に向き合えるか、

人と愛。

毎日、様々なお仕事をさせて頂き、感じることはこれに尽きます。
頂くお仕事で愛を感じる。
逆に愛のないお仕事は、お請けしないスタンスも大切なのかもしれません。

当社でいうながら、
映画の仕事、映像制作の仕事、教育現場でのアクティブ・ラーニングの仕事、
全てに通ずる、大切なことだと思っております。

最近よく聞くリーダーシップの必要性について

アクティブ・ラーニングに関して活動していると、
主体性、自発性を促す教育という流れから、
ダイバシティ、グローバル化に対応できる人材が求められているという
考えが社会に広がっている気がいたします。

ともすると、
アクティブ・ラーニングはリーダーシップを育成する仕組みでしょ、
みたいな話もちらほら聞かれますが、小生は違っていると思います。

日本は受け身の環境、相手の空気を読む雰囲気が強いので
主張ができない、国際社会で勝てないということを感じることはあります。

小生も仕事がら、会社を経営して、映画を監督する立場なので、
リーダーシップの気持ちを持つことは大切だと思っております。

ただ、リーダーシップを持つのは、チームの中の一部であって、
リーダーを補佐する人もいれば、
陰で支える人もいて、いろいろな才能のある方がいるわけです。

確かに今、日本にはリーダー的存在が少ないという感覚はありますが、
リーダー意識を創出するだけではなく、
チーム・組織でどのように個性を伸ばし、
それぞれが才能を尊重しながら、
連携を取っていくかの心構えが大切だと思っております。

仕事とは、顧客の顧客のために

当社CFO兼COOの松本沙織がBiz/Zineというサイトにて取材を受けました。
小生との出会いから、当社での仕事の関わり方などをお伝えしております。

また、北九州のユーラステクノ社様とのご縁を頂き、
企業紹介映像を制作させて頂きました。
このようなステキな機会を授かりましたこと、心より感謝申し上げます。

当社は、
1)映画製作・上映会 
2)企画・提案に力を入れたの映像制作  
3)アクティブ・ラーニングワークショップ・講演会

の3つを事業の軸としております。

そこには、必ずB2Bにせよ、B2Cにせよ、コミュニケーションの活性化・向上化を
念頭にお仕事をさせて頂いております。

常に大切にしていることは、
ご相談頂いているクライアント様のニーズや目的だけではなく、
そのクライアント様が繋がっているのは、誰なのか、どのような方なのか
という顧客の顧客を意識することです。

自分が直接触れる機会がない顧客に対して、
実際に現場に出向いていき、体感や体験を通じて、想像を働かせていき、
求められているものが何なのかを洗いざらい抽出していく。

そこに各案件のテーマが生まれ、それを元に内容を設計していく。
そんな風に心がけて仕事をさせて頂いております。

昨今お問い合わせが多いのは、インバウンドや日本の食に関するご相談。
小生は、映画を通じて、各地域に出向くことが多いので、
地方の魅力はよく存じているつもりです。

中から見ると当たり前のことでも、外から見るとかけがえのない価値で、
外の視点から自分たちの強みを理解していくことで
自分たちの資産に対しての誇りや自負心が芽生えてくると思っております。

地域活性には、若者・馬鹿者・よそ者の三つが必要と言われますが、
まさにその通りだと思い、
これからますます観光誘致や地方創生が進んでいく中で、
自分たちの当たり前を多角的に見つめていくことが、
経済発展のきっかけになると感じております。

寿司業界と映画業界で考える下積みは長い方が本当にいい?!

半年くらい前に、ホリエモンさんにより
寿司職人は長い下積みが必要か? という議論がネットで話題になりました。

ホリエモンさん曰く、長い下積みは不要とのこと。
時代の流れで、昔のような職人としての下積みのあり方が変わってきたのでしょうね。

確かに長い時間下積みをすることは、
一つ一つを丁寧に覚えて、師弟関係を構築していくという
伝統文化継承の一つのあり方なのでしょう。

精神の鍛錬も磨かれ、その職を天職として
生涯全うするという意味合いもあるのだと思います。
逆に向いてない人間は、その下積みの間に淘汰されてしまうのでしょう。

もう一つ考えられるのは、専売特許の考え方です。
花形の職に技術ある若者が溢れかえってしまっては、
その価値が下がってしまうという発想。
お客を取られ、単価も下がってしまうという考え方です。

もしかすると、下積みを重視する意味は後者が強いのかもしれません。

映画の世界でも高価なフィルムを使って、
巨額の資金を投入するわけですから、
下積みが大切という発想は日本に昔から根付いております。
昔は40代で監督が若手と言われていた時代もあるくらいですから。

それだけ高価なものを扱うには、しっかりとした技術と人間性・精神性を備えよ、
という意味なのでしょう。

ですが、実は映画の世界にも、
日本では、代表作「人情紙風船」で知られる28歳で亡くなった山中貞雄監督

海外だと、「市民ケーン」のオーソン・ウェルズ監督は26歳。

実は、古い時代でも若い時に名作を作った監督は少なくありません。

今では、デジタルが普及し若手でも簡易的に撮影ができるようになった時代、
下積みを経験せずに、作品を撮る方は普通になってきました。

小生の場合は、映画監督に最初からなろうなんて全く思ってもいなかったので、
制作部・助監督・監督補など、現場の下積みをいくつも体験できたことは、
自分にとっては良かったと思っております。

同時期に学校にも通っておりましたが、
現場で学んだことの方が断然鮮明に覚えておりますし、
何より実践で生かせるものが多かったと思います。

下積み時代で最も価値を置いているものは、精神的な鍛錬に思えます。

では、長い下積みと短期間で実践に出るのは、
果たしてどちらがいいのでしょうか。

情報が活発に共有され、専門職の学校も開かれた形になり、
先の寿司でいうなら三ヶ月でプロになれる時代だそうです。

小生は、短期間で凝縮して学んで
実践で生きた学びを習得するという考え方に、大賛成です。
もちろん、長く修業してプロになるという発想も間違ってはいないと思います。

先日も述べましたが、20世紀の一つの正解をみんなで一斉に求める形から、
21世紀は個々が納得解、それぞれが納得のいく正解を一つにこだわらず
見つけていく時代になったのです。

過去を懐かしんでも戻ることは決してできません。

現代に大切なことは、実践の中でひたすら修業をして、トライ&エラーを行いながらも、
古くから続く匠の伝統がいかに深く、洗練されているものであるかを
学ぼうとする気持ちを忘れずにいることだと感じております。

実践で学ぶということは、もしかしたら下積みで長く学ぶことと
同等に大変かもしれません。
自分のお師匠さんが側にいない中で、なんとか工夫をして作業をこなすわけですから。

ということは、とどのつまり、
長い下積みも、短期間で実践に出るのも
どちらも悪くはないということで、時代の変化で、選択肢が増えただけのこと。

どちらを選択するかは、それぞれの趣向だと思いますが、
どちらもプロの道に入るということは、とても厳しいわけです。

小生の場合は、下積みは6年でしたが、その間に作品を生み出しては、
いろんな映画祭で賞を頂き、ハイブリッドなことをやっていました。
自分にとっては、性格的に、違う二つのものを同時に行うというのが
性格でもあり、性に合っているのでしょう。

学校でいろいろな知識を学んでも、そこで決して満足するのではなく、
その知識が生きていくためには、
生身の人とたくさん会い、いろいろな価値観の違いとぶつかり合いながらも、
すぐに逃げずに、辛抱強く耐え、
そこから自分の哲学や教科書を築いていくしかないのだと思っております。

教育が地域やロボットと連動していく

毎日お陰様で様々な職種の方とお打ち合わせしますが、
それぞれのビジョンやターゲットのベクトルが近しいこともあり、
横連携が生まれてきている状況です。

時代の流れもレイヤーの時代、いろいろな層を重ね合わせていく時代になったと
思います。
佐々木俊尚さんの「レイヤー化する世界」ではウチとソトの概念が崩れてくると
お話されております。
まさに、その感覚を実感しており、それが標準な世の中なんだと思っております。

中世から近代国家まで国に仕組みの変化とインターネットの場との関係性

著書から一部、佐々木さんのお言葉を引用させて頂きます。

『「第三の産業革命」は先進国のウチとソトをなくし、
先進国も新興国も含めてひとつの大きな〈場〉をつくり、
ウチソトの境界を消滅させようとしています。
しかしそれは、いままでウチソトの境界に守られて豊かな生活を
してきた先進国の人たちにとっては、恐怖でしかないのです。
だから彼らは、もうすでになくなってしまった境界がまだあると思い込み、
「ここに境界があるんだ!」と叫び、ソトの世界をにらみつけています。』 

人との関係がフラットになってきた現代、
大切なことは、場を通じて、向き合っている個の関心がどこに向いているのか、
どのようにコミュニケートをしていくと双方向にポジティブを享受しあえるのか、
そういう共益共存の時代になったのだと感じております。

先週末は、大学・企業・そしてロボットのコンソーシアムなど
様々な機会を頂きましたが、
それぞれが、社会に対して、なにか時代よりも先駆けてアイデアを創出し、
横連携を取っていくことで、掛け算の理論から、
強固な関係とビジネスモデルの発信を打ち出していこうとされる姿が大変刺激的です。

小生の「あまのがわ」も、各業界の方々より、応援を頂き、
ゼロックス総研の小串社長のご紹介で
ユナイテッドブックスの神澤社長とお会いし、
次回作の分身ロボットOriHimeをモチーフにした
映画「 あまのがわ」の制作に向けて、力強い応援を頂くことになりました。

屋久島の持つ大自然の息吹が、人間の豊かさに対してのアンチテーゼのように思え、
大切なことは身近な営みに対しての畏敬と感謝。
そこから、他者と幸せを共有していくあり方へと発想が繋がっていき、
自分から他人に向けて貢献していく姿勢が、
教育をより明るく豊かにしていき、そして地域の子供たちから
問題意識の提示や、社会との主体的な関わりが芽生えてくる。

地域>>教育>>ICTは21世紀における経済発展の3要素のように
小生は考えております。

子供達が生き生きと主体的に学びを楽しみ、
地域に対しての関心を喚起していき、世代を越えて交流や情報収集を行い、
ICTを駆使して、発信・運用していくことで、インバウンドにも繋がる経済効果が
創出されていく。

そんなモデルを映画制作を通じて、実践していきたいと小生は考えております。

2七角成らずの将棋にみる人間とロボットの共生

昨日のNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」が
SNS上で大変話題になっておりますね。
残念ながら、小生はテレビがない生活なので、
次回水曜の再放送をどこかで録画したいと思っております。

小生の鋭意制作準備中の次回作「あまのがわ」も
分身ロボット・OriHimeをテーマにした作品です。

テクノロジーが急速に発達していく中で、
人間ではできないロボットならではの役割があることを
いろいろな場面で感じております。

将棋や碁の世界でも、ロボットと人間、どちらが優秀かを争う場面が
度々話題に上がります。

その中でも、ロボットならではの面白い小局がいくつかありますが、
2015年の第2局なんかは、とても象徴的だと思っております。

対戦の終盤、AIロボット「Selene」が追い込まれた局面で、
永瀬六段は、相手の陣営に駒を進めて、
100%成るはずの馬(角の進化版)の駒をあえて、
弱いままの角の駒にしたままにしたのです。

人間との対局では100%ありえない手筋で、
あえて、このような手を打ったのがまさに人間の叡知を振り絞ったと言える手で
解析できないプログラムの手筋にSeleneの思考はストップしてしまい、
AIが負けてしまったという例があります。

逆に、かの有名な車椅子の物理学者・ホーキング博士は、
AIが人類を滅ぼすという内容の警鐘を促しているくらいで、
これからの世界、自分たちで生み出してしまったもので、
自分たちが滅ぼされる時代が本当にくるかもしれません。

小生が思うことは、先の将棋の理論ではありませんが、
ロボットはあくまで人間が生み出したもので
完璧ではないということ。思わぬ落とし穴が必ずあるということ。
またロボットにはできない人間だからこそできる不安定さもあるということです。

もしかしたら、ホーキング博士も、ロボットの完全優位性ではなく、
不安定さから生まれる脅威を示唆しているのかも知れませんね。

小生が物理をひたすら勉強している時に学んだことは、
物理と哲学とは表裏一体の関係にあるということ。

尖った鉛筆を理論上立てられても、
実際には決して立てることができないのと同じ考え方です。

人間の鼓動だって不安定なのですから、
安定したものがないのが日常では当たり前なのです。

その安定してないことが当たり前であるという考え方のもと
ロボットが人間では手の届かない箇所をサポートしてくれることに
感謝しながら、共生していくことが、
21世紀に必要な考え方だと思っております。

アンケートを上手に使える講師とは?

みなさん、こんにちは。
少しずつ気温も来て、汗ばむ日も出てきましたが、
如何お過ごしですか。

先日の玉川大学・小酒井研でのシネマ・アクティブ・ラーニングを
ゼミ生の方がブログに投稿してくださいました。
よかったらご覧ください。

アンケートも満足度の高い評価を頂き、加えて貴重なNEXT STEPも
個々人まちまちに頂けたことがとても嬉しかったです!
大変参考になります。

駿台予備校時代もアンケートってありました。
予備校講師は、生徒の評価が先生の価値を決める一つの指標でもあります。

10年前は、アンケートの成績ばかりを気にしていたのですが、
大切なことは、実はこうなのかなと思っております。

東進スクールの林修先生は、徹底的にアンケートを見て、
その中から悪かった評価を探し出すということなのです。

ベテランの講師になっていくと、中には
アンケートなどくだらないと捨ててしまうと言われる方もいて
びっくりしましたが、
生徒の気持ちを大切にして、向上心を強く持っている人こそ、
真の講師なんだろうなと思っております。

・三流の講師は、アンケートを無視する
・二流の講師は、アンケートの良い部分しか見ない
・一流の講師は、アンケートの悪い部分をしっかり受け入れる

教える側は、いくつになっても謙虚さを忘れず、
向上心をもって、成長を求めていく必要があると感じております。


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