2019Archives

映画「ノー・ヴォイス」がDVDとして発売されます

おかげさまで、2019年7月3日に小生の初監督作品「ノー・ヴォイス」が
劇場公開から6年越しにDVD化されます。
これを記念しまして、現在お名前や愛犬・愛猫の画像を掲載できるクラウドファンディングを開催しております。
5月22日締め切りになります。
https://camp-fire.jp/projects/view/156661

この作品は、2010年から4年かけて制作した映画です。
東日本大震災を経て、何度も企画が進みそうで、いろいろな事情で頓挫をして、
最終的には、自分で資金調達をすることになり、
それと並行して、仲間たちのサポートを得ながら、各地で活動されている方々の取材を
重ねていきました。自分のことを話しますと、
幼少期は厳しい父と母に育てられ、勉強ばかりをしていました。
人とのコミュニケーションがとても苦手で、
一人で物思いにふけっていたり、妄想をするのが大好きでした。よくいじめられましたが、そのはけ口を学校にも家庭にも話すことができず、
テレビのドラマの世界に没頭して、現実逃避をしておりました。

人が怖い、家に帰ると行き場がない、勉強しか自分の人生がない
そんな青年期の果てに18歳の時に自殺を考えました。母親はいつも、またそんなことを言って自分を悲劇の主人公にしてということばかりをいう人間でした。
それをずっと言われ続け、本当に辛かったです。
父からは態度がなっていないと深夜まで叱られ続け、
いまだに両親にされた心の傷は深く残っています。ただ、映画の道に進み、学歴社会から外れた中で、
様々な人と出会い、いろんな属性の方と知り合えたことは、
22歳の自分にとってとても大きな財産となりました。「自分の世界があまりに狭すぎる」20代は社会のこともわからなければ、他人の気持ちも思いやれない
とても身勝手な自分でした。
たくさん怒られ、たくさん騙され、たくさん不自由を強いられましたが、
少しずつ、その逆境に立ち向かう気持ちや人間再生を行なっていきました。そう、この「ノー・ヴォイス」というのは、自分が幼少期に大切にしていた
自然に対しての畏敬や心の優しさを取り戻していく旅でもあったのです。20代の自分は、売れる映画監督になりたい、有名な存在になりたいと
野心がたくさんありましたが、自分だからできることはなんなのか?を福島の南相馬での経験を経て、考えるようになりました。岩手の釜石に出向き、昔懐かしかった風景が無くなり、
町にはハエが飛び回り、コンビニには商品がほとんどなく、
全壊した軒並みを回っていく度に、
自分がこれからやるべきことは、
青年期におかしいと感じていた社会に対して、学校に対して、家庭に対して思っていた
理不尽さ、不自由さを作品で表現していきたい。

それは、自分だけのものではなく、困っている人たちや苦しんでいる動物たちの支えになって
社会をプラスにしていく活動をしていきたい。これは、今大切にしている仲間たちと共有している言葉ですが、
『For Youのために、For Meをする。そして、For Usになる』
大切なことは、For Meばかりではダメで、自分は誰の為に何がしたいか、
誰の為にここに存在しているのか、その志を持つことが大切だと思っています。アフリカの諺にこのような言葉があります。『早く行きたいなら一人で行け! 遠くへ行きたいならみんなで行け!』自分は一人で勉強を頑張り、一人で勝ち残ることを青年期やってきましたが、
今は素晴らしい仲間たちと手を携え、皆が各々違っているからできるアクションを
協働しながら、活動しています。そのキッカケとなる小生の初監督作品「ノー・ヴォイス」を皆様とDVDとして
輩出ができますことをとても幸せに思います。

生徒という呼び名をアップグレードさせよ!

お陰様で、小生の初の小説「ノー・ヴォイス」が先週発売されました。
劇場公開から6年経ち、この度晴れて小説となりました。
帯には和光市長の応援メッセージ、末尾には対談が掲載されております。

ぜひ、本作をご一読いただきたいと思っております。
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この作品を作るために保健所やアニマルシェルター、獣医師の先生方など、
多数の方々を取材しました。
自分の知らないペット業界の背景も沢山学ぶこととなりました。

この作品に携わるまでは犬の数え方は一匹、二匹だと思っていましたが、
ある時に指摘されました。
「一頭、二頭です」と。

人間が抱えられない大きさの動物や、訓練された盲導犬などは、
人間の生活に密着度が高い存在は頭で数えるとのことでした。
「多頭飼い」に見られるように「頭」で数えると良いと思いますとのご意見。

そんなこと考えたこともありませんでしたが、なるほどなーと考えさせられる経験でした。
(それでも猫は一匹って数えるよなと考えることがありますが^^)

そんな話と繋がっているようで、全く違う話ですが、
学校における「生徒」という表現に関しても、学校教育法で

小学生は児童、中学生・高校生は生徒、大学生は学生と分けられているそうだが、
「徒」は「従う」という意味と同じとのこと。
小学生までは、児童で良いと思うのだが、
小生は、中学生からは、「学生」と呼び方を変えたいと思っている。

生徒と表現している時点で、学校のルールや指導に従う存在という意味が
無意識に定着してしまっている感覚になる。

「勉強する」から「学習する」、
「STUDY」から「LEARN」へと変わる現代の教育の在り方において、

「生徒」という呼び名も「学生」や「ラーナー」
はたまた「HERO」とか「PIONEER」
と斬新に変えるような発想が出てきてもよいのではと感じています。

「うちの学校のHEROは、画期的な探究をしているんですよ」
みたいな会話が出たらワクワクしませんか?^^

当たり前の感覚を違った見方で検討してみる習慣というのは、
自分の視点を磨き、社会に対しても新しい提言や実験を生み出すきっかけになると感じます。

身近な当たり前のちょっとした違和感を、身近な人と考えてみては如何でしょうか。

映画「あまのがわ」2/9に一般公開いたします!

みなさん、こんばんは。
久々の投稿となり、恐れ入ります。

お陰様で、多くの方々にご協力を賜りました
映画「あまのがわ」ですが、2/9より一般公開となります。

大変多くの方々に支えられてここまで来ることができましたこと、
心より感謝申し上げます。

自ら発起し、0からのスタート、手探りからの試行錯誤を繰り返して、
約5年かかりました。
その分、最先端のテクノロジーや鹿児島の魅力、そして、平成の元号が変わる現在に必要な力、
自分自身視座を広げて制作に向き合ったのが、この「あまのがわ」でした。

昨今も子供が大人の都合や事情で虐げられる悲惨な事件が飛び込んでいくたびに、
日本が今、何を大切にしているんだと頭を悩まされます。

大人が悩み、苦悩するハゲ口が子供に向かってしまう。
社会が向き合うのは、子供ではなく、大人のあり方であり、
大人が如何に自分の心を広げられるかだと思っております。

小生が尊敬する麹町中学校の工藤校長先生と昨年お会いした際に、
「剥ぎ捨てる」という言葉を話されていました。
20世紀の成長社会に染み付いてしまった競争の原理や自分だけがよければ良いという概念を如何に大人が剥ぎ捨てられるか、が求められていると思います。

日本には、互助会や寺子屋のような、隣同士であるからこそ、家族のように親身になって支え合う精神が培われています。
現代に近くに連れて失われつつある日本人独特の精神は、テクノロジーが発展する現代にこそ、求められているものだと思います。
人間だからこそ、日本人だからこそ、自分だからこそ。

この「だからこそ」の精神を描きたいと思ったのが、「あまのがわ」です。

屋久島という舞台になったのも偶然であり、必然だと思っております。
自分の意志は心の中で願っていることが、外の因子により自然と惹きつけられる。

私たちは、自分が中心と考えがちですが、そんなことはありません。
自分という存在は全て外の力によって支えられているのです。
だからこそ、自分が誰かの外の力になれるよう成長をしていく。
それが「生きる」ということなんだと思っております。

まだまだ至らないことばかりの小生ですが、
その自分がふんだんに「生きる」を楽しんで、
ですが、制作には生きるとは真逆な位に苦しんで、もがいて作った本作を
ぜひ、多くの皆様にご覧いただきたいと思っております。

そして、この作品を愛してくださった方々は、
ぜひ、周りの方々にも本作をご紹介いただけましたら幸甚です。

◉劇場公開情報:https://amanogawa-movie.com/theater/