2七角成らずの将棋にみる人間とロボットの共生

昨日のNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」が
SNS上で大変話題になっておりますね。
残念ながら、小生はテレビがない生活なので、
次回水曜の再放送をどこかで録画したいと思っております。

小生の鋭意制作準備中の次回作「あまのがわ」も
分身ロボット・OriHimeをテーマにした作品です。

テクノロジーが急速に発達していく中で、
人間ではできないロボットならではの役割があることを
いろいろな場面で感じております。

将棋や碁の世界でも、ロボットと人間、どちらが優秀かを争う場面が
度々話題に上がります。

その中でも、ロボットならではの面白い小局がいくつかありますが、
2015年の第2局なんかは、とても象徴的だと思っております。

対戦の終盤、AIロボット「Selene」が追い込まれた局面で、
永瀬六段は、相手の陣営に駒を進めて、
100%成るはずの馬(角の進化版)の駒をあえて、
弱いままの角の駒にしたままにしたのです。

人間との対局では100%ありえない手筋で、
あえて、このような手を打ったのがまさに人間の叡知を振り絞ったと言える手で
解析できないプログラムの手筋にSeleneの思考はストップしてしまい、
AIが負けてしまったという例があります。

逆に、かの有名な車椅子の物理学者・ホーキング博士は、
AIが人類を滅ぼすという内容の警鐘を促しているくらいで、
これからの世界、自分たちで生み出してしまったもので、
自分たちが滅ぼされる時代が本当にくるかもしれません。

小生が思うことは、先の将棋の理論ではありませんが、
ロボットはあくまで人間が生み出したもので
完璧ではないということ。思わぬ落とし穴が必ずあるということ。
またロボットにはできない人間だからこそできる不安定さもあるということです。

もしかしたら、ホーキング博士も、ロボットの完全優位性ではなく、
不安定さから生まれる脅威を示唆しているのかも知れませんね。

小生が物理をひたすら勉強している時に学んだことは、
物理と哲学とは表裏一体の関係にあるということ。

尖った鉛筆を理論上立てられても、
実際には決して立てることができないのと同じ考え方です。

人間の鼓動だって不安定なのですから、
安定したものがないのが日常では当たり前なのです。

その安定してないことが当たり前であるという考え方のもと
ロボットが人間では手の届かない箇所をサポートしてくれることに
感謝しながら、共生していくことが、
21世紀に必要な考え方だと思っております。

アンケートを上手に使える講師とは?

みなさん、こんにちは。
少しずつ気温も来て、汗ばむ日も出てきましたが、
如何お過ごしですか。

先日の玉川大学・小酒井研でのシネマ・アクティブ・ラーニングを
ゼミ生の方がブログに投稿してくださいました。
よかったらご覧ください。

アンケートも満足度の高い評価を頂き、加えて貴重なNEXT STEPも
個々人まちまちに頂けたことがとても嬉しかったです!
大変参考になります。

駿台予備校時代もアンケートってありました。
予備校講師は、生徒の評価が先生の価値を決める一つの指標でもあります。

10年前は、アンケートの成績ばかりを気にしていたのですが、
大切なことは、実はこうなのかなと思っております。

東進スクールの林修先生は、徹底的にアンケートを見て、
その中から悪かった評価を探し出すということなのです。

ベテランの講師になっていくと、中には
アンケートなどくだらないと捨ててしまうと言われる方もいて
びっくりしましたが、
生徒の気持ちを大切にして、向上心を強く持っている人こそ、
真の講師なんだろうなと思っております。

・三流の講師は、アンケートを無視する
・二流の講師は、アンケートの良い部分しか見ない
・一流の講師は、アンケートの悪い部分をしっかり受け入れる

教える側は、いくつになっても謙虚さを忘れず、
向上心をもって、成長を求めていく必要があると感じております。

社会で必要とされる力とは?〜玉川大学・小酒井ゼミでシネマ・アクティブラーニング〜

皆さん、こんにちは。
昨日は、玉川大学のコザカイ組(小酒井研究室)で
「シネマ・アクティブ・ラーニング」を開催させていただきました。

大学生の教員、大人混合にて開催をさせて頂きました。

玉川大学工学部マネジメントサイエンス学科マネジメントコントロール研究室(小酒井正和研)のコザカイ先生はとてもユニーク!
ガンプラオタクで萌えキャラ大好きな先生が
ドローンやICTなど様々な観点から社会をデザインしていく仕組みを
研究されている方です。

先日のiTeachersTVの控え室でお会いしてから意気投合!
今回のこのような機会につながりました。

研究室の顧問でもあります力丸 萠樹先生もご紹介頂きました!
コミュニケーションをご専門にされているとのことで、
こちらもステキなご縁が繋がりました!
コザカイ先生ありがとうございます!

せっかくなので、大学生と先生・社会人混合でワークショップを開催いたしました。
先日の静岡・韮山高校スタイルです。

今回のテーマは、社会で役立つコミュニケーションの実践法ということで、
「物語発見力」と「演技表現力」の2つを開催いたしました。

一般社団法人 日本経済団体連合会(2014年)
企業が求めている社会人の素養
https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001_kekka.pdf 

一般社団法人 日本経済団体連合会(2014年)
https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001_kekka.pdf 

これらのグラフから、社会で「コミュニケーション能力」が最も求められていることがわかります。
コミュニケーション能力とは、
「感情」をうまく使って(コントロールして)、双方向で円滑なやりとりを促せる力
と小生は考えます。

従来の学校教育のテスト・偏差値重視ではなかなか養えないものが
社会では最も必要とされる。

その矛盾に小生も10年前から気づいていたので、
力を入れてシネマ・アクティブ・ラーニングを力を入れて展開しているわけです。

ものすごく綺麗で完成な校舎にビックリ!!
学校開催恒例、学生と教師が一緒になって参加いただきます。
先生も必死インワークに取り組んでくださってます

中間発表タイム!
全員の前でチームの想像力をお披露目です
先生方も迫真の演技です!
一番ノリノリだったのが、小酒井先生!笑
演技表現ワークでは、参加者がフラットな感覚で
瞬発力や対話力を養います。

様々なゲームを通じて、楽しみながらコミュニケーション力を養います

ワークショップ開催前とは全く違った表情
そして、小生含めて達成感!
お疲れ様でした。

今回は、理系の学生さんたちに開催させて頂きましたが、
なかなかこういうコミュニケーション講義を受ける機会がないみたいでしたので、
アンケートもコミュニケーション力以外にも様々な学びがあったようです!

田町に移動して、みなさんで懇親会!
みなさんの持っている才能は素晴らしい

出会いの素晴らしさ、共創の大切さを伝えていきたい本ワークショップ。
これからも各地を飛び回りたいと思っております!

ステキなご縁をありがとうございました!

しくじり先生のオリラジ・中田敦彦さんにみる教室の場づくり

しくじり先生 俺みたいになるな!!」という番組、
ご覧なったことがあるかと思います。
人生で大失敗した方が、自分の失敗談を語って、教訓を伝える番組なのですが、
現在「Perfect Human」で有名な
オリエンタルラジオの中田敦彦さんが偉人のしくじりを
語る内容が凄まじく面白いのです!

マラドーナ、アインシュタインなどなど

様々な偉人たちの知られざる失敗談を語るのですが、
小生のオススメの回は、資本論のマルクスでした。

世界で聖書の次に最も読まれたのがかの有名な「資本論」

思いがけないダメさぶりから、偉人の面白さ以外にも、
歴史の面白さも分かりやすく理解ができる。

お笑い版池上彰さんといったところでしょうか。

中田敦彦さん、慶應大学出身のインテリで、塾の講師経験もあるからでしょうけど、
こんな日本史や世界史の先生だったら、絶対に居眠りが起こらないだろうなと思いました。

1)自分の過去の失敗談を入れながら、ネタにしている。
自分の過去や失敗というのは、しゃべりたくないという人もいるかもしれませんが、
それを強みにしているところが人間として引き込まれるわけですね!

2)テンポと問いかけ
漫才を見ているかのようなテンポ感と、逐次先に進みたくなるような内容での
あえての問いかけ。
そこからの答えが思わずびっくりで
受けている方が、え? これ何?
って聞いてしまいそうなトークがうまいのですね。

3)聴衆の目線
「この話、難しいですよね、そう思います」
「この難しい話、まずは結論から言いますと〜」
のように決して上から目線ではなく、視線が平等なところが
好印象!

ご覧になったことがない方は、ぜひご覧いただくと、
教える側のテクニック、人前で話すテクニックが学べると思いますよ。

あっちゃんかっこいい!

歩くアクティブ・ラーニングの6つの条件とは?!

皆さん、こんにちは。

連日、様々な方とのお打ち合わせが続きます。
教育機関だけでなく、企業や社会人も
教育や学びの重要性を享受している時代だと感じております。


社会人の定義をどこかで調べたときに、
「勉強を終えた大人」みたいな定義が書かれていてビックリ致しました。
いえいえ、何をおっしゃいますか。
社会人こそ、ひたすら勉強が必要ではないかと思いました。

日本の教育はどうしても目先の目標ばかりに目が向きがちですが、
学びとは人生一生涯かけてとことん追求していくもの
その中に、大学や高校があり、履修する科目があると思っております。

その中で、昨日、お打ち合わせさせて頂きました方から、
一時間以上の白熱したお打ち合わせが終わった後に、こんな言葉を賜りました。

監督は歩くアクティブ・ラーニングですね!」と。

歩くアクティブ・ラーニング?!

その方が、お話しされたことをご許可を頂き、
以下の6個に分けてそのままの文章で綴らせて頂きます。
小生なりに補足を付け足してみました。

1)やはり人は体験によって学ぶところが多い。
何かの書籍や誰かが唱えたことがベースにあっても、
結局は自身で歩いて経験したことが、それぞれの方々の学びとなり、
他者の共感を生んでいくということなんでしょう。

2)体験は、自ら求めて得るモノと他者から
与えられて得るモノがある。
1を踏んだ上で、経験を積んでいくと、
その自分と共鳴する他人との出逢いや出来事が起こるわけなんでしょうね。
自分軸と他人軸の掛け合いから、また新しい学びが育まれていく。


3)他者から与えられて得る良質の体験は、
良い効果を与え良い行動変容をもたらす。
潜在的に気付いていながらも表層や日常レベルまでは現れていなかったものが
自分と一体化されていくことで、外部刺激が成長要因へと遂げていくということでしょう。

4)しかし、それを与えられる者には
人の痛みが理解できる経験からくる愛が必須である。
これは、とても重要です!
単に優しい言葉やカッコいい言葉というのは、中身がスカスカな肉まんのようなもの。
苦労をして、他者の辛さや痛みを感じることで、自分から進んで物事を進める主体性や推進力が生まれてくるものと思います。

小生の知っているとある食品会社の80代の女性の会長さんは、
「最低を知りなさい」という言葉を常々話されておりました。
だいぶ前に拝聴したお言葉ですが、未だに胸に残っております。

5)だからこそ、その他者には時には
多少強引とも感じられる、引寄せの力がある。
時として、運命に巻き込まれ、思いがけない世界に入ってしまった時は、
自分を大きく変化させる機会と捉えております。
否応無しに自分の弱みと対峙する訳なのですが、
求心力と共に自ら外に発信していく遠心力も生じるわけです。

6)しかし、その引寄せによって
未体験の行動を起こした人には、
良質の体験をもたらし、良い行動変容を促す。
当初は向き合っていた強い力が、いつしか自然と
自分自身が強い力を備えるのだと思います。
ただ、その強い力も他者の痛みが備わっている時には、
持続的な愛のスパイラルが生まれてくるのでしょうね。

以上、分かりやすく6つに分けてご解説下さいました
小生の大切な知り合いの我妻さんに心より感謝致したいと思います。

聖徳学園とアクティブ・ラーニング

皆さん、こんにちは。

本日は、武蔵境にあります聖徳学園さんを訪問して参りました。
英語科の小野先生からのご依頼で、校長先生に当社松本と共にご挨拶に伺いました。
玄関で出迎えてくれたのはPEPPER君!
物珍しそうに興味津々な松本は積極的にPEPPER君に声を掛けるも、
話がチグハグ(笑)
ご機嫌斜めなのかしら?

聖徳学園さんでは、小野先生を筆頭にアクティブ・ラーニングを積極的に

取り入れているとのこと。
また、商店街と密着したフリーペーパーやJICAさんと連携を取って
ベトナムで職業体験ツアーなども行われており、
その校風に二人して素晴らしいなと共感のしっぱなしでした。
伊藤校長先生には、小生が駿台予備校の講師であったことや、
カウセンラーを目指していたこと、
社会と繋がるアクティブ・ラーニングを開催していることを
お伝えさせて頂き、大変関心を示してくださったのが嬉しかったです。
聖徳学園さんでも、教職員研修を積極的に取り組まれているとのことでしたので、
教職員の方と生徒がフラットな関係でグループを作りながら、
学びの楽しさや双方の考えや気持ちを伝え合う発想法の事例をお伝えしたところ、
校長先生より、目から鱗とお褒めの言葉を頂き、とても嬉しく思いました。

先生と生徒が立場を越えて、本音をぶつけ合います。

アメリカの教育現場を視察された校長先生のお考えから、

ドラマや映像制作の仕組みを積極的に教育現場に取り入れたいとのことでしたので、
とてもお話が弾みました。
また同行させた当社・松本は、オリックス株式会社に勤めた後に、
行政書士の資格を取ったので、
現在、小生と同じ下北沢聖徳高校で経営・起業の講師を年間で勤めております。
聖徳学園さんでも、社会起業家への関心を強く持たれているそうでしたので、
松本の下北沢聖徳での授業の取り組みも、とても関心を示してくださいました。
こうして、映画監督・コミュニケーションデザイナーの小生と
行政書士・コーポレートデザイナーの松本が一緒になって
各学校さまのニーズにお応えできる準備ができていることは、
何より光栄なことだと感じております。
松本と小生とPEPPER君!
学生さんたち、そして教職員の方々が、
今ある学びが社会のどこにつながっていって、
誰に向けてこの学びが活かせていけるのか、
そんな反転方向の考え方の教育の在り方が、
各地でドンドン広がっていることを肌身で感じて、
とても嬉しく感じております。

校長先生のステキなお人柄が校風を象徴しているように感じました!
これから、各地でこのようなムーブメントがドンドン起こっていくと思いますので、
そのお手伝いを積極的にさせて頂きたいと考えております。

アクティブ・ラーニングでコラボレーションを楽しもう!

突然ですが、「ベビーメタル」ってご存知ですか。
そんなの知ってるよ! という方も少なくないですよね。
全米を賑わせている女性3人組のメタルダンスユニットです。
坂本九さんの「スキヤキ」以来全米のヒットチャートを賑わせている日本人です

なんでこんな話をしたかと言うと、
彼女たちの面白いところは、モーニング娘。やAKBのように
アイドルとしての可愛さを売りにしているのはもちろん、
楽曲がアイドルとは懸け離れたメタルを楽曲に取り入れているところなんです。

例えば、プロダクトなんかでも、
チョコレートとお茶の商品を組み合わせたこちらとか。
文房具もメイクグッズと合体したのがこちらとか。
昨今、コラボ商品がとても流行っております。

商品がヒットしていくには「進化型」と「協働型」の2種類があると思ってます。

とことんそのものの性能や質を追求していき価値を高めていく「進化型」と
ある程度の価値が見出せた時点で何かと融合させることによって独自の価値を創出する「協働型」

日本人の気質からすると、匠を追求する進化型が美とされてきたのではと
小生は考えます。
物事の一つを徹底的に追求する職人気質です。

一昨日のブログで書いた通り21世紀は、情報を処理する時代から
編集するの時代へと変化を遂げました。
ソーシャルな在り方が標準化し、
フラットな関係で相手を尊重し合う発想が標準となり始めております。

商品や情報が協働型になっている中、
教育の世界もこの協働型が求められているのでは? と思うのです。

アクティブ・ラーニングも時代の流れに沿って、
個人の価値を深めていくだけでなく、
他者との協働の中で価値を創出していき、社会との接点を生み出していく。

実は数学や英語など教科や文系・理系などの区別も越えて、
創造を楽しんでいくという発想
が、
アクティブ・ラーニングの根底にあるのだと考えております。

こうなると学年や世代を越えて、学びを享受しあい、楽しみ合う
日本が江戸時代に日常であった「寺子屋」の考え方、そのものではないのでしょうか。

アクティブリスニングがアクティブ・ラーニングの原点?

皆さんは「アクティブリスニング」という言葉を聞いたことはございますか?

アクティブ・ラーニングという言葉は、
実はアクティブリスニングから来ているのでは?
と個人的には考えております。

アクティブリスニングとは、コーチングの理論で、
信頼関係を気づくのに必要な傾聴の姿勢です。

日本人は対人関係が苦手と言われておりますが、
世間や空気というものを重んじるがゆえに、
言葉で発しなくても空気を読め、という風潮が漂いがちなんだと思います。

満員電車なんかを見てもそうでしょう。

押し合いへしあいしながら、人を倒してでも電車に乗り込み、降車する。
あれには、黙っていてもちゃんと行動しろよ、という日本人的な潜在意識が
あるからだと思います。

ですが、小生なんかは、一声掛け合いながら、降りればいいのになと
思えてなりません。
昔と現在とでは、社会の風潮は大きく変わっております。
時間の流れも早ければ、情報も散乱している。

社会の当たり前の風潮から、一歩視点を変えてみる、
行動を変えてみるということは大切だと思い、
先ほどの満員電車の例ならば、
小生は必ず自分から声を掛けることが日常になっております。

学びにおいてもこういうコミュニケーションのあり方が基本にあり、
主体性や自発性が促されると考えております。

対人関係をよくしていく発想の一つに
「アクティブリスニング」というコーチングの理論がございます。
価値観や立場が違う相手との信頼関係を築く際に、
「積極的傾聴=耳で聞くではなく、心で聴く」という発想です。

手順としては、こんな感じでしょうか。

1)心と顔に笑顔:相手を受け入れる、
2)うなずき:相手の話を同調する姿勢
3)オウム返し:相手の言葉と全く同じ言葉を繰り返す
4)共感:同じ気持ちを飲み込んでいき、感情を想起していく
5)まとめ:会話の振り返りをしながら

相手を全面的に承認をすることで、お互いの心が近づき、

相手との対話がスムースになるという理論ですが、
アクティブラーニングにおいても
能動的、自主的になる段階に持っていくには、
この傾聴スキルがとても大切だと思っております。
キャッチボールだって、子供相手なら、
相手がどんな速度でどんな勢いで投げてくるか
ボールを受け取ってみることで、投げ返す度合いが決まるのと同じ考え方です。
傾聴スキルは、小生のシネマ・アクティブ・ラーニング
積極的に養うことができますので、
ぜひご体感頂きたいなと思っております。

今までの受動型講義は果たして間違っていたのか?

みなさん、こんにちは。
とても穏やかな週末ですね。
お天道様にも恵まれ、行楽日和、如何お過ごしでしょうか。

お陰様で小生のブログに向けて貴重なご感想をいただき、
皆様のご関心が高いんだなということを感じることができております。
心より感謝いたします!

急速にアクティブラーニングのキーワードが普及しだしたのも
一昨年の前文部科学省の下村大臣が教育現場の抜本的改革の目玉として
打ち出してからなのですが、
現場の先生方の中でも、実は当たり前にこの取り組みをしていて、
ようやく時代が追いついてきたと感じている方も少なくはないのでしょうか。

日本は音楽にせよ、動物にせよ、
ブームや流行にとても敏感なので、
アクティブラーニングも単にブームで終わらないよう、
持続的に意義あるものとして発展させていきたいなと思う次第であります。

アクティブラーニングが肯定的に考えられると、
今までの受動的な講義は間違っていたのか?
という問いに問い沙汰されます。

みなさんはどう思われますか?

例えば、社会や経済など時代の流れによって相場や市場が変わるように
教育も変容が当たり前であり、
今までの教育のあり方は20世紀型の「成長社会」にはとても合っていたと
思っております。

世の中科」の藤原さんの言葉を借りると
1998年で成長社会から成熟社会へと変化をしたとのこと。
山一証券や北海道拓殖銀行の破綻、GOOGLEの起業などの節目から
時代がソーシャルに横並びの関係を重視する発想に広がっていきました。

そのような社会変化のもと、みんなが一緒の正解を求める正解主義から
個々人それぞれが自分の納得解を模索していく修正主義へと変わったとのこと。

情報やマーケットも一方方向からソーシャルに変わり、
双方向のコミュニケーションが基本となる社会へと変貌をしていったわけです。

ともあれば、教育の世界もそれだけ大きな変化を遂げることは必然で、
情報を処理する能力から情報を如何に個々人が編集してアウトプットできるかが
求められてきている時代になったというわけです。

インターネットやスマートフォンの普及も短いこの10年くらいの間に急速に発達し、
社会環境も見方、視点、コミュニケーションも大きな変化を遂げたと思います。

そんな中、教育現場というのは、なかなか変化をしない業界だと
自身の体験からよく分かっております。

受動型が流行っていないから能動的に全て変えることがいいかと思えば、
小生はそうではないと感じております。

今までのあり方の中にも気づきや学びや沢山あるもので、
きっと受動型と能動型のメリハリが大切なんだと感じております。

例えば、能動型が不得手な教師の方は、受動型が得意な方と組み合わせをしながら、
しっかりと教えるあり方の良さを伝えていく。

柔軟性に富んでいる方は、受動型と能動型をうまく組み合わせながら講義をしてみる。

アクティブラーニング型の授業の中にも、きっと教える側が
これはしっかり教えたいという伝えるプログラムは適宜含まれているはずで
全てがディスカッションやワークだけで完結しているわけではないと思っております。


第3回のアクティブラーニングフォーラムでもお伝えしましたが、
「キドマ」の法則がここにも結びついてまいります。

教える側が教えるスキルをとことん磨いていくことが、
受講生の方々にとっても生きた学びになり、
自発的な学習意欲へと結びついていくと思っております。

目を向けるのは、実は学生たちではなく、
教える側の教えるあり方なんだろうなと思っております。

エデュテイメントとアクティブラーニング

こんばんは。
今年はGW10連休という方もいらっしゃるみたいですね。
羨ましいなと思いつつも、自分がそんなにお休みを取ってしまったら
きっと1日で飽きちゃうかもしれないなーと思ったりもしています。

さて、みなさんはエデュテイメントという言葉をご存知ですか。
教育分野では何十年前から使われている言葉として、
教育と娯楽を融合させた意味で用いられます。

子供向けのテレビ番組や博物館などでの学びがそれに相当します。
文部科学省でも「エデュテイメント」の専門ページがあるんですね。
初めて拝見して、思わず面白いなと思いました。

小生が掲げている映画×アクティブ・ラーニングもまさに
エデュテイメントの分野に近しいんだろうなと思っております。

学びには、体感や体験を通じて、五感で身につけたことほど、
記憶に定着し、持続してそれを生かそうと思う意識が芽生えると感じております。

英語にせよ、理科にせよ、
話してみたり、実験してみたりして、
成功だけでなく、失敗をすることで、
それが自身の学びとして定着をする経験はございませんか。

そう、失敗をすることは、しっかりとした学びになっていく。
この発想は、エデュテイメントの枠を越えて、
人生の知恵として、学生がそれを自発的に生かしていく
きっかけになるのだと思っております。

英語の発音にせよ、日本語の本来の意味にせよ、
使ってみて、他者から初めて、それっておかしくない?
と指摘されることで、その言葉に対しての愛着が生まれ、
その言葉を返ってよく使うようになる、みたいなことってあると思うんです。

エデュテイメントも今までならば特定のテレビを見てこう学びましょう
とか、特定の場所にいって、こういう仕組みなんですよ
と知ることが多いと思うのですが、
体感をする上でも大切なことは、
「すべての答えが初めから決まっていないこと」
だと思っております。

答えが決まっていることを学ぶことは、
教える側もおざなりのままで定型化、習慣化してしまい、
そこにはワクワクが教える側、教わる側、双方で好奇心が薄れてしまい、
偶発的な気づきが生まれづらくなってしまいます。

固定のフォーマットとしての狙いを定めながらも、
常に学びの空間においては、
固定化されがちなことをあえて、流動的に、答えを定めないように設定させておく
そのことで、場の空気が円滑に流れ、自発的な気づきや主体性が生まれていくと思います。

小生が狙っている「シネマ・アクティブ・ラーニング」もそこでして、
しっかりとしたフォーマットや狙いを持ちながらも、
それをいかに答えを定めずに、教える側・教わる側が双方で
その偶発性を楽しめるか、
そこに人間力や社会で求められる瞬発力があると考えております。

ですので、小生の考えていることは、
様々な科目で、映画という枠を越えて、この偶発的な学びを
教える側同士で分かち合っていくかということなのです。

これは、一つのチャンレジですし、
様々な方々との横連携が必要だと思っております。

来週は早速、高校の国語の授業と大学のプログラムの研究室で
このことを実践してきたいと思っております!