南相馬~会津~釜石の旅・後半

皆さん、こんにちは!
暑い日が続きますが、お変わりはございませんか。

私は先週末は南相馬の野馬追で仲間たちと三度目の訪問でした。
このことは、是非次回のブログに描きますね。

さて、間があいてしまいましたが、7/11(月)の釜石の旅です。

ソワソワしながら駅に到着
ホームから望む景色は昔と変わりなく
も、視点を逸らすとガレキやらゴミやらが大量に。。
大好きな駅前のまんぷく食堂が再開していることにビックリ!

駅前で見つけた車両のメッセージ
商店街に入ると悲惨な状況
釜石漁港に行ってみるも、無惨な姿
商店街の端っこにあるデッカい携帯ショップもこんな姿に
駅から漁港や市役所、そして祖母がいる大只越まで一通り歩き回りました。
駅前は、キレイになっておりましたが、町の方々曰く、
清掃するには多大なご苦労があったとのこと。
商店街は信号も真っ暗で、店舗はどこも壊滅状態。
唯一コンビニとホテルが開業してましたが、
ガレキや腐敗物の関係でハエが沢山飛んでおり、
住んでいる方々はいろいろな苦労を強いられていることを感じました。
復興にはまだまだいろいろな作業が必要で、
解体業者の方々が無休で作業をしているような状態でした。
私も何か力になれたらと、広報課の方にご挨拶をして参りました。
南相馬で手がけていることを釜石や他の地域でも是非生かしていきたい、
東北の被災者の方々と同じような気持ちで、
今の自分ができることをし続けたいと強く思います。
次回は、先週末の南相馬のことをアップ致しますね。

南相馬~会津~釜石の旅・前半

皆さん、
こんにちは。
ようやく梅雨が明けましたね。
暑い日が続きますが、お変わりはございませんか。

私は、先週末仲間たちと共に福島に参りました。
来週末に行われる伝統行事の「野馬追」のこともあり、
ご挨拶を兼ねて行って参りました。
(カメラのバッテリーが切れてしまい、南相馬の写真が無くて済みません)

来週にはまた南相馬に参りますので、
その際にまたいろいろとレポート致しますね。

その翌日には、デジハリ大学院の友人のお誘いで
会津若松に行って参りました。

ダムや廃屋など、お誘いいただいた友人の興味あるような場所だったみたいで、
普段の自分たちならなかなか拝見できない場所を見学させて頂きました。
ロケハンでしょうかね(笑)

上野原で見つけたツバメの巣
ちょっとだけ接近、お顔を拝見!
茂みの中に鉄橋が出現! 反対側は端っこが切れてるんですよ~!!

こんな風に!



お、廃屋を発見!



水道管から水しぶき”(>_<)/”
この家を支えている柱の時間
家に漂う光と影

とても貴重な体験をさせて頂きました。
次回の更新では釜石のことをアップいたしますね;)

暑い毎日ですが、熱中症に気をつけてがんバルタン(V)0¥0(V)

削るということ

こんばんは。
皆さん、お変わりございませんか。

おいらは、映画祭で沢山の出会いを授かり、
それ以降もいろいろな案件の作業や相談を頂いております。

大変なことは沢山ありますが、充実した毎日です。

毎日沢山の連絡や相談を頂く中で、今年はいろんなことが集約されてきたなと思ってます。
それは自分自身の動き方や、考え方、創作に対しての意識もです。

おいらは、物づくりは小さい頃からとてもしたかったことだったので、
22歳になるまで押し殺していたのはとても辛かったです。

環境がそうさせていたといえば、それまでなのですが、
それすらも今の自分を形成している大切なきっかけ。

自分の人生は、こんなにも逆境だらけ(自分の意識の中でだけね)と
常々感じてます。

自分はこんなにも苦しいんだって思う時ほど、自分に備わっている
チャンスやきっかけを見失いがちです。

どんな場所にも、自分を発信できる種は沢山転がっています。

拾うのはそう、僕自身なんだ。

自分の至らなさや、直したら良い部分に気付き、
それを栄養としていく。
自分の良さは誰がなんと言おうと、それが自分らしさであるから、
堂々とね。

そんな二つの要素を絡めていくと、
もしも(たとえ)、自分の思ったものと違う現実になったとしても、
それは、意外性という素晴らしさに変わります。
その意外性を受け入れていけることが、生きていくことに、
この上ない、感動を自分にも、そして誰かにも届いていくと思います。

おいらがこのブログやツイッター、そして日々の生活でやれることは、
誰かと直接、その人と戦うことではなくて、向き合うこと。
その人の良さを一つでも受け入れていけること。

おいらは、そこに自分の作品の感動が出てくると思ってます。

自分ができることはただ一つで、
作品を創ることでもなく、
誰かを愛することでもなく。
お金を稼ぐことでもなく、

目の前の現実を、どうやったら自分の糧にしていけるか。

その延長線上に、
作品を創ることがあり、
誰かを愛することがあり、
会社を大きくすることがあります。

SSFF&A無事閉幕です

13回目のショートショートフィルムフェスティバルが

閉幕を致しました。
今年でおいらは4度目の参加となりましたが、
多くの感動や、そして、出会いがありました。
映画祭の関係者皆様、作品に携わってくださったキャスト、スタッフ方々に、
厚く御礼を申し上げます。
ピンクのロゴがステキ! このロゴのデザイナーさんと昨晩お友達になりました

「スガシカオ」さんならぬ「スマシガオ」(笑)

TOHOシネマズオールナイト上映です

「町を歩けば」伊藤有紀監督
おいらが監督補をした現場での演出部仲間です。
「わかれもの」主演の高山かなさん

「雪の花」の小野寺監督
主演の渡辺裕之さんと「わかれもの」の畑中葉子さん
次回、金子修介監督の作品で共演されるんですよね。

とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

この映画祭を通じて、発見したことは、「如何に自分を削るか」ということでした。
また改めて、近くお話致しますね!:)

祖母の初七日の法要を終えて

皆さん、こんにちは。
暑い日が続きますね。
如何お過ごしでしょうか。

実は先週の日曜日に祖母が他界致しました。
母方の祖母で御年八十歳でした。

私が小さい頃から、いつも可愛がってくれた祖母で、
下落合近辺、いろんな所を一緒に歩いて回ってくれました。

私が祖母にとって初孫であったためか、
祖母との想い出が沢山あります。

近所の和菓子屋が大好きで、よくスアマを買ってきてくれたり、
ゴマをすり鉢で刷ったり、鰹節を削ったり。

計算が得意だった私は、よく近くのスーパー(ユネスコやいずみや)
に行っては、レジのおばさんよりも早く買い物の計算をしてみせたり、
(そういえばあの当時は、まだ消費税なかったですもんね)

余ったご飯にバターと醤油を掛けて、残さず食べる工夫を教えてくれたり。

うちの叔父が歯科医をやっているので、
いつも診療所に祖母と居た記憶があります。
待合室で漫画を読んでたり、診療後一緒に診察器具を磨いたり。

椎名町が近くて、よく8が付く日には縁日に連れていってもらいました。

祖母はいつも私のことを気にかけては、いつも笑顔で温かく接してくれました。
父と母にはなかなか馴染めなかった青年期の自分にとっては、
祖母が家族でいてくれることの存在感や大きさは、何よりも代え難いものでした。

支えてくれる人というのは、居てくれるだけでありがたいものです。

そんな祖母も私が三十路になった今年、旅立ってしまいました。

祖母が危篤と聞いて、家を飛び出し、
母から後二時間と電話が届いたとき、私の中には、ただ、
祖母の手を握って見送るイメージだけが強く心にありました。

電車やタクシーを乗り継ぎながらも、なかなかスムースに進んでくれない中、
焦りではなくて、信じるという気持ちが近かったと思います。
必ず、祖母の死に目に間に合うから、全力で病院に向かう。

病室に付いた祖母の脈拍は30でした。
存命にうちに辿り着いて、私がついて10秒程度で亡くなりました。

大人になった自分は、最後の最後まで祖母に支えられているんだなと思うと、
涙が止まりませんでした。

昨日の通夜に続き、本日は告別式ならびに初七日の法要をして参りました。

祖母の葬儀をきっかけとして、親族いろいろな方々と再会をすることとなりました。
かれこれ17年ぶりだったりします。

親族の顔に囲まれながら旅立った祖母の冥福を祈りながら、
祖母が残してくれた大切な家族、
そして、自分がこれから祖母の支えなく生きていく心構え、
また家族とのつながりを強く感じることとなりました。

30年間、甘えん坊の私をいつも温かく支えてくれて、
本当にありがとうございました。
小さい頃にいろいろと頂いた気持ち、そして感謝は、
今の自分を形成しているかけがえのない素材です。

畑中葉子さんチャリティーイベント

皆さん、こんにちは。
如何お過ごしですか。

私は、先月から一昨日までいろいろと追われていて、
昨日、今日、ようやく落ち着いてきました。

先週は大阪、名古屋に行って参り、いろいろな仲間たちに会って参りました。
並行して南相馬に向けて映像制作を携わらせて頂きました。
これからドンドン街に元気が戻ってくると良いなと感じております。

まだ作業や案件が続いているので、ゆっくりはできませんが、
少しだけ今、緩やかな時間を頂いております。

デジハリの授業も幸富成先生の講義、ヒバヒデトシ先生の講義も
昨日終わり、とても有意義な時間を過ごしました。

本日はお昼から畑中葉子さん企画「月と星の、あかりの下で」
http://yaplog.jp/yoko-hatanaka/archive/1927
の稽古に行ってきます。

皆さん、良かったら是非入らしてみてくださいね。

いま×未来×未来

皆さん、こんにちは。
お元気ですか。

夏のように暑い日と思いきや、涼しい日になったりと。
体調を崩しやすい天候が続きますね。

オイラの方は事務所を高円寺に作ります。
六月より本格的な始動を致します。

またとある映画祭のトレイラーをスタッフと共に100本近く制作をしていたのですが、
四年半使い続けていたMac Proが故障してしまいました。

PRAMリセット、電源を抜いたリセット、シンプルモードでの起動、
シングルモードでの起動、インストールディスクからの起動……、
様々なやり方でも直らず、結局はグラフィックボードとバッテリー部の故障と判り
修理屋さんに直していただきました。

この故障で四年前のMAC PROがさらにまだまだ使えるとのことで、
HDDもSSDに変えたり、新しいiMacを購入したりと様々な出会いがありました。

心機一転、作業に邁進しております。

さて、一月に制作しておりました「わかれもの」ですが、
本年のSSFF&AのNEO部門で上映されることとなりました。
http://www.shortshorts.org/2011/ja/official/neo-2.html

山形でのとある作品との出逢いから、この映画の制作に至ることとなりました。
きっかけを下さった方、携わってくださった関係者皆様には、
心より感謝を致したいと思います。

このような震災後の状況で、私たちができることは、
自分の強みを確認することと思っております。
小さなことでもいいので、自分だからできることをしっかりと
継続的にやっていく。

私もこの映画制作の活動の中、企画やデジタルの配信、撮影や編集の技術を
被災地に向けて、微力ながら協力をさせて頂いております。

ここで一つこんなお話を。

つい最近、私の知り合いで地域メディアをプロデュースされている
榎田さんが農業におけるKKDの話をされていました。
農業における大切なこと3つだそうでして
勘、経験、度胸だそうで、榎田さん曰く、
勘、経験、データと置き換えたそうです。

なるほどなと思いつつ、
K=感、K=計画、D=データ
と私なりに置き換えてみました。

コンテンツ制作でも大切なのは、何を感じて、何に向けて発信するか、
それは過去の事例と比較してどう同じなのか、どう違うのか、
という三位一体の考え方です。

まさしく今、未来、過去の三つのかけ算と考えております。

最近思うのは、三位一体の強さです。
人は白黒だと何かしらの対立が起こります。
結局は、自分が正、相手が否の考えから起こるものだと思っております。

この時に、自分にも否と省みれたらば、いろいろな争いは少なくなると思ってます。
ですが、なかなか自分を省みることができないものです。

そんな時に第三の立場が、白と黒の特性をより引き出してくれると思っております。 

4.28(木)南相馬を訪れて

皆さん、こんにちは。
世はGWとのことですね。
如何お過ごしでしょうか。
私の方は、まだまだ仕事が山積でいろいろな作業に追われております。

さて、先日の木曜日に、「いっとこ(http://www.ittoco.com/)」
の今井さんにお誘いを受けて南相馬に行って参りました。

向こうの現状は、海岸線沿いは報道されている通り、
原っぱのような状態になっておりました。

海岸線から陸地まで津波が寄せてきた様子がまざまざと感じられました。

ですが、津波の影響を受けた部分を外れると町は普段とあまり変わらない装いでした。
市役所では、放射能の被害を受けられた方へ東電のブースで長い列が出来ていたのが、
印象的でした。

行方不明者も多数いる中、役場の人手もパンパンのように感じられました。

その後、市の方々と打ち合わせをして、物資、雇用、医療、教育等のお話を致しました。

その後、原発20km付近を間近に見て参りました。

火力発電所付近も悲惨な状態でした。

広域で瓦礫が沢山あり、倒壊した物が散乱している状況で、
この状態をサラにするには、とても長い時間がかかることを感じました。
その一方で、そこに住み続けている人々もいる訳です。

地元で生活を営みたい方々、離れることができない方々、
もしくは土地を離れて新しい生活を目指そうとしている方々、
いろいろな想いの方たちが町にいることが判りました。
私が訪れた南相馬と同じような状況は、岩手、宮城にもあることと思います。

今、考えていきたいことは、衣食住の生命に関わることと並行して、
一年後、二年後の生活を安定した状態に持っていくための準備だと思っております。
その中で、ICTを活用したソーシャルメディアの活用は、とても有益と思っております。

私が持っているノウハウをいろいろな周りの賢者と連携を取りながら、
これから南相馬を取っ掛かりとした動きを取って参ります。

訪れて感じたことは、そこに住む人たちの感情は、
報道では伝えられない見えない部分が沢山あるということです。

物資、義援金、生活環境、心情等、顔を合わせて感じることで、
今の問題共有をすることができました。

大きな組織の動きとし、個の動きを掛け算しながら、
これからの福島に向けての活動を続けて参りたいと思います。

30歳誕生日を迎えて、

皆さん、こんにちは。
まだまだ余震が続いておりますね。

如何お過ごしでしょうか。

私は三日前に三十歳の誕生日を迎えることができました。
三十歳まで生きられたのなら本望と二十歳の頃はよく思っておりましたが、
早いものですね。

誕生日は自分の誕生を祝うこともステキなのですが、
自分が命を授かり、支えられて生きていることを感謝する日だと思っております。

母に渡した花を写メで送ってくれました

地震や原発、復興に向けての活動など、さまざまなことが、
まだまだ起こったばかりである状況で、
様々な意見や、批判が飛び交っているかと思います。

大切なのは、自分が今身近に抱えていることを
どれだけ大切にできるかということだと思っています。

生活、家庭、仕事、被災地のことを考えながら、
まずは自分の心がシャンとまっすぐになれることを、
考えていきたいと常に思っております。

またデモに関しても、多くの意見があります。
私自身、原発には大反対ですが、だからといって、
それに甘んじて生活をしてきた自分もいる訳です。

相手を批することは、大変簡単。
まずは、自分の行動から省みてみると、それはかならず、
大きな進歩に繋がります。

後、ネット上でのコミュニケーションもよく話題に上がります。
おいらは、小さい頃からずっと虐められてきたので、
陰でコソコソされることには慣れてますが、やはり苦手です。

ソーシャルメディアが発達して、会話が文字ベースで当たり前に
やり取りされる中、誰かのことを平然と名指しするケースも
多々あるようです。

確かに陰で言うことは簡単なんだけども、
それは決して、その人自身のためにはならないと思っています。

相手を批するというのは、それだけ自分に対しても
見えてない部分が沢山あることだとおいらは感じてます。

メールもブログも、とても素晴らしい通信手段。
でもやっぱり直接会って、電話で声を聴いて、
相手の心を感じ合うことから、全てのことは始まります。

三十歳になれども、まだまだおいらは未熟者ですから、
勉強することは沢山あります。

三十歳になって思うことは、今できることと共に、
20年先、100年先の自分の子孫に対してできることをしっかり考えていく、
このことに尽きると思います。

黒澤明監督の「夢」のように夢が夢ではない状況だからこそ、
直面している問題を、人と直面して考えていくことが、
未来を救う最大の近道だと感じております。

「ゆるすということ」

皆さん、震災後大分落ち着かれましたか。
被災地はまだまだ大変な状況、とても心配です。

数日前に、実家より釜石の祖母が無傷で無事とのことを聞き、
胸を撫で下ろしております。

震災の影響で世の中は、まだまだ不安定な状況、
打ち合わせや案件がバラしになっていると聞きます。
そんな中、おいらの仲間達はとても積極的。
やれることをやる! というスタンスで自分の持っていることから
義援活動や、仕事をこなしております。

おいらも今回感じているのは、別に大きなことをやらなくても良いから、
小さなできることを日々継続的にやっていく、
ということが大切だと感じております。

大切なのは、積み重ねていくということ。

さて、震災の関係で、おいらの家の棚から倒れてきた本に
「ゆるすということ」という本がありました。
昔のシェアメイトの誰かが置き忘れていったものだと思うのですが、
とても気になって手に取って読んでみると、
いつもおいらが感じていることがそこには書かれていました。

いろんな出来事の中で、悔しいこと、悲しいこと、辛いことがあり、
今回の震災もまた、とても苦しいことと思います。

おいらも、多々驚くようなことを体験してきました。
親にも、少なからず、負の感情を頂いていたことと思います。

でも、結局、負の感情は巡り巡って負の自分に繋がってしまうから、
どのような出来事も受け入れるようにしています。
まずは相手の話を聞いて、そして、例え相手に非があると感じても、
それすらも許せたのなら、きっと、自分が一歩大きく成長できるんだろうって
そう感じてます。

許すという行為は、自分の心の成長でもあると思うんです。

どんなに卑劣なことをされたとしても、
相手がすぐに変わることはなかなかありません。

ならば、自分から気持ちを変えていくことは
今自分自身にやれることなんだと思っています。

仕事も、恋愛も、人生も、誰かと向き合うところから始まります。
どんな人も、一人の人間であることに変わりはなく、
少なからず悩んでいると思うんです。
そんな時、相手を受け入れて許してあげられたら、
それは双方にとってプラスな掛け算だと思います。

天災や事故なども、多分そのような気が致します。

例え何かがあっても、人は立ち上がり、進んでいくことができます。
その時に気付くのは、
自分はゆるした仲間の心で支えられているということなんだと思います。